短編
□長い夢
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障子の奥、浴場の小窓から見えた三日月の姿が微かに映し出されて、二人並んで見上げた灯りに心が詰まる。
「…あー…」
突然広間から出て行った自分の不自然な行動に後悔を感じながら言葉にならない声をあげて、男の布団に背中から力無く倒れ込んだ。
もういいだろ、と諭しても、内側に無理やり入り込むあいつの姿に、どうしようもなくなる。
叶わない思いだと百も承知なんだ、だから俺にあんな笑顔を見せないでくれ。
馬鹿だから期待しちまう、他の奴に構うお前に、理不尽な怒りを感じてしまう。
「…どんどん深みにはまってねーか、俺…」
今ならまだ引き返せる。
思いなんざ、そんな生半可なもんだ、まだ間に合う。
(…帰ろう)
明日の朝に護衛を断ろう。
もう、こんな馬鹿げた事は終わりにしよう。
「失礼しまー…あれ?」
「…っ!」
ため息と同時に突然部屋の襖が開き、瞬間的に布団から飛び起きると、目の前にはぽかんと唇を開いている山崎が立ちつくしている。
「副長って、まだこっち戻って来てませんか?」
「え?」
「もう30分も前に広間から出て行ったんですけど…」
「いや、こっちには戻って来てねェ。…何か心辺りねーの?」
落ち着いて言葉を繋いでいても、動揺が心を揺さ振る。
「さっき煙草が切れたとかぼやいてましたけど…」
山崎はそう呟いて「まさか一人で出歩く訳ないと思って…」不安げに自分を見上げていた。
(っ、あの馬鹿が…!)
気付けば山崎を押し退け駆け出している自分が居る。
…そんな俺も、存外馬鹿だろうよ。
頭の片隅でそんな風に自嘲する自分を振り払ったら、すぐに邪念は消えて行った。
*****
まだ乾ききっていない髪をかきあげ、土方は地面に転がりうめき声をあげている男を八つ当たりのように蹴りあげ舌打ちを洩らした。
目の前に立ちふさがった三人の浪士風情の男は、意識を失った仲間の様子に顔色一つ変えず、刀に手をかけたままこちらの動きを探っているようだ。
屯所から煙草を買いに出て、ものの数分。
自分が一人になる時を狙って構えていたのであろう。
…クソ、なめやがって。
ギッと歯を噛み締め左手で刀を抜くと、男の一人が背中を仰け反らせて高々と大袈裟に笑い声をあげている。
「おいおい、利き手が使えねェ腕で、どう戦うってんだ?副長さんよぉ」
「…テメー等にはこれぐれェのハンデが必要だろ?気ィ使ってやってんだ、感謝しろよ」
「はっ、言ってくれるじゃねーか…!」
ビュンと頭上から刀を振り下ろす男を一重でかわし男の脇腹に横から蹴りを入れると、男は声をあげて地面に倒れ込む。
「かは…ッ」
休む暇無く背後から向かって来たもう一人の男に振り返り、左手に構える刀を下から振り上げ刀を弾き飛ばすと、片手で胴に峰打ちを食らわす。
「…っ」
その衝撃に地面で声をあげ悶える男を見下ろし、先程からギシギシと痛み出した右肩に眉をひそめていると、震える腕で刀を構える残りの一人が、自分を睨み付けるように見据えている。
「何だ、まだやんのかコラ」
刀を下ろし小さなため息を洩らしながらそう言い放てば、男は刀をカラリと地面に落として力無く降参だ、と呟いている。
地面に転がった三人の姿に、膝をついてうなだれる男の姿を一瞥すると、土方は携帯を取り出し一番早く此処に駆けつけてくるであろう部下山崎に電話を繋ぎ、軋む右肩にまた舌打ちを浮かべた。
「ああ、1分以内にこっち来い。…あ?んな事ァ後で…っ!」
会話の最中、建物の陰から刀を振りかざし飛び出して来た男に反応が遅れる。
(クソ、もう一人隠れて…)
刀を抜いた時には、街灯に照らされ鈍く光った刀の刃がスローモーションのように目の前に迫る瞬間が瞳に映っていて―…
*****
「…ぐ、ぁ…」
男が前に倒れ込むと視界が開け、瞳には呆然と自分を見つめる土方の姿があった。
苦しみのた打ち回る男を見下ろし息を切らしながら木刀を下ろすと、銀時は汗で張り付いた前髪をかきあげた。
「…な、んで」
その場に立ちすくんだままそう呟いた土方に、ふっと目を細める。
「忘れたか?…俺はテメーの護衛だろ」
一人、屋上で涙を流した背中を抱き締めたいと思った。
守りたい物の為に闘うお前がこれ以上傷つかないように、
辛い現実に一人で立ち向かうお前が、これ以上苦しまないように、
叶うなら、ずっとお前を、一番近くで守らせて。
「…何で、俺の場所が分かった」
「愛の力」
「きもいからやめろ」
口元を緩めながら即答をすると、土方がギッと自分を睨み付ける。
(冗談じゃないんだけどね…)
苦笑を浮かべて髪をかくと、勝手に足を進めている土方の背中に視線をやった。
「おい、この転がってんのはどうすんだ」
「すぐ山崎が取りに来るだろ」
土方はチラと顔だけ振り返ると素っ気なくそう言い捨てて、またすぐに背中を向けて歩き出している。
その背中を追い掛けて横に並ぶと、街灯と月灯りの照らす道に二つの影が重なった。
「…お前さ、次に黙ってどっか行きやがったらあれな、デコピンな」
「…デコピンって何だよ、脅しでも何でもねーよ」
「俺のデコピンなめんじゃねーぞ。てめーの額にでっけェ穴開くぞ」
「その前にテメーの脳天かち割ってやるから安心しろ」
「…どこらへんで安心感を感じていいか分かんないんだけど」
呆れながらそう呟けば、ふわりと笑みを浮かべた土方の横顔にドクンと心臓が高鳴るもんだから、思わず眉を寄せ視線を反らして、
「…あ、あんま奴等に心配かけんなよ。今だってきっと屯所で気が気じゃねーだろ」
生返事を返す男の横顔を見る事も出来ずにひたすら足下を眺めながら、自分の鼓動の音だけがやけに高鳴って、
「…あのよ、」
ふと上げた瞳にゆらりと映った男の唇は、
「…悪かったな…坂、田…」
消え入りそうな言葉を不器用に紡ぐものだから、本当にどうしようもなくなって、
(…馬鹿じゃねーの)
胸の疼きが微かな痛みに変わる。
それは、自分でさえ気付けないような、本当に小さな変化。