短編
□長い夢
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「うお、酒臭ェ…」
地獄絵図とはまさにこのような場面の事を言うのだろう。
「おー万事屋!ようやく来たか〜!」
「あ、旦那ぁ!もうお酒残り少ないですよー!」
大広間には足の踏み場も無い程に散らかった空の酒瓶に、顔を赤らめ空回りの陽気さを発揮しているがたいのいい男達。
酒に伸び鼾をかきながら畳に寝転がっている男の気長しからは、剛毛の生えたごつい生足が覗き、鍛えられた腹筋を指でボリボリと掻き毟る姿には、同性ながらに軽くトラウマになりそうな絵図であった。
「あれ?ところでトシは?」
乱れた気長しを直す事もなく酒瓶片手に胡坐をかいている近藤は、酔いながらも土方が側に居ない事に気付きキョロキョロと首を振る。
「あー…風呂長ェから置いてきた」
本当はただ、あのままあの場に居られなかっただけなのだけど。
畳に胡坐をかき適当に相槌をうつと、先程までどんちゃんと盛り上がっていた山崎までもが、近藤と共に目を見開き反応を見せる。
「ちょ!駄目じゃんお前!トシにもしもの事があったらどうすんの!」
「そうですよ旦那!土方さんは滅法強いですけど、今は利き腕使えないんですから!」
「…あーわり、ってかゴリラてめ寄んな!臭い!酒臭い!」
ずい、と近寄って来た近藤の顔を押し返し顔をしかめていると、
「仕方ねェ、ちょっくら俺が見てきやすかねェ」
この空間では小柄で端麗に見える少年が、自分の周りを囲った空の酒瓶を避け、よっこらせと年に似つかない掛け声と共に立ち上がる姿がある。
「ちょっと待てェ!」
「何ですかィ、旦那。その手離して下せェ」
瞬時にその少年の袴を掴み制止をすれば、少年は不満げに自分を見下ろした。
「…いや、あれ。そろそろ戻って来るし、きっと。…だからわざわざ迎えに行かないでも…」
「何言ってんでさァ。利き腕の使えねェ土方さんが、どこの馬の骨とも知らねェ輩に襲われでもしたらどうしてくれんでィ」
「おおお襲われって、どういう意味で…」
「旦那、少し落ち着いて下せェ」
(俺は、土方の護衛を依頼された)
銀時はキッと少年の姿を睨み付ける。
(本当に護るべきは、あいつの尻を狙うこいつからだ…!)
「みんなちゅうもーく!勲のイッツショーターイムッ!」
その声にハッと我に返ると、先程まで隣に居た筈の近藤が気長しの合わせをはだけさせ和の中央に立ち上がり、フラフラとした足取りで両手を挙げていた。
「あ〜、土佐の高知の〜吾妻やば〜しで」
腹に書かれた歪な人の顔を揺らしながら気持ち良さそうに歌を歌いだした近藤に、隊士たちはゲラゲラと腹を抱え笑っている。
「…あーあー、大将が何やってんですかねィ」
その中で呆れ返っている総悟に、あぁ…と初めて同意の言葉を洩らすと、総悟はこちらに振り向いてニコリと笑みを浮かべた。
「あの人ァ簡単にはなびきませんぜ」
「…あの人って土方?言ってる意味がよく分かんないんだけど」
挑発的な態度で耳打ちをする少年に、心の内で舌打ちを洩らし平然と答える。
「そんな睨まねェで下せェ。報われねェ恋してるもん同士、仲良くやりやしょうぜ」
「…報われねェ恋、ね」
届く筈がないと呟いてもまた、どこがで期待している。
予想外の時を、探している。
だけど言葉になって、初めて実感する。
この恋は、不毛な報われねェ恋だ。
「近藤さん!あんた何やってんだ!」
「あ!トシー!無事だったかー!」
ガラと大広間の扉を開いた音がしたと思えば、その入り口につっ立っていた土方は、裸踊りを勤しむ真選組局長の姿を目の当たりにし悲痛な叫び声をあげた。
「ちょ…合わせを直せよ!何でそんなはだけて…って!あんた腹に何てもん書いてんだ!」
「あ、これ?トシも見るか?俺の裸踊り」
「見るかァァァァ!しっかりしてくれよ近藤さん!局長としての威厳っつうもんがあるだろーが!」
(んなもんとっくの昔からねェだろ)
普段からクールな男が慌てふためく様子を眺めながら冷静な突っ込みを入れていると、銀時は風呂あがりの男のその姿にピキンと身体を強張らせた。
風呂あがりで蒸気した頬に、胸元がだらりとはだけた黒の気長し。
まだ半分濡れた髪に、香るシャンプーの匂い。
(おいおいおい、こんな野獣共の巣窟なそんな格好はまずいんじゃねーか)
ちらりと辺りを見回すと、心無しか隊士達の目線が土方に寄っていってる気がする。
「ったく…こんなんなるまで飲みやがって。もう宴会はお開きだ!三分以内に部屋を片付けて、就寝の準備をしろ!」
「まあまあトシ、まだいいじゃねーか。なんせ主役が来てから、まだほんの数十分も経ってない」
土方を宥める近藤の主役という言葉に、土方はふっと銀時を見下ろした。
「主役…ああ、そういや今日はこいつの歓迎会だったな」
「駄目ですよ副長!趣旨を忘れちゃぁ」
「山崎テメーはこいつらが馬鹿飲みしねェよう見張っとけって言っただろうがァァァ!」
土方が酔っ払った山崎にエルボーをかますと、山崎はぶげらァ!と奇怪な悲鳴をあげ、がくんと頭から後ろのめりに倒れ込んだ。
「…チッ、仕方ねェ」
そして土方はそう呟くと、両手の埃を払いドカリと畳に胡坐をかいて
「…今夜だけだからな」
渋々、ぶっきらぼうにそう言った放った。
その言葉に隊士達の歓声があがる。
「さ、土方さんからお許しも出た事だし、旦那おひとつどーぞ」
「お、気がきくじゃねーか。何これ日本酒?」
「日本酒でさァ。旦那には死ぬまで手が届かねェような一級品ですぜ」
酒が飲めるという至福感から、総悟の嫌味も銀時はさらりと聞き流し笑みを浮かべると、猪口に並々と注がれた酒を一気に飲みほした。
「おおっ万事屋!いい飲みっぷりじゃねーか!よーし、俺達も飲み直しらあ〜!」
銀時の飲みっぷりに愉快そうに手を叩いた近藤は、既に真っ赤に染まった顔を綻ばせまた酒瓶を掲げている。
隊士達の「おーっ!」と、威勢のいい応答と共に、目を見開いて畳から立ち上がったのは土方だった。
「おい、何が飲み直しだ。あんたはもうそれ以上飲むんじゃねェ」
「えー、何で俺らけぇ」
「呂律回らねェぐらい飲んだんだろ。明日の仕事に差し支える」
そう言って近藤を見下ろす土方の表情がひどく柔らかい事に、銀時の酒を口に運ぶが動きが止まった。
「そんな固ェ事言うなよとひぃ。ほらお前も飲め〜!」
「飲まねーよ、ちょ、抱きつくな、酔っ払いが!」
構ってもらえる事が嬉しくて仕方ないような、まるで子どものような表情を浮かべている。
(…そんな顔出来るなら、出し惜しみしてんじゃねーよ)
銀時はそう呟けば怒りに似たその感情を酒と一緒に飲み込んだ。
(…一度でいいから俺の前でその顔見せてくれよ)
がつん!
その時、物体が宙に投げ出されたと思えば、何やら鈍い音が広間に響き、
「うぐっ!」
次に、近藤の声が聞こえた。
その方向に視線をやると、畳には割れた酒瓶が転がり、その隣では白目を向けながら仰向けで倒れている近藤の姿があった。
「あ、すいやせん。酔って手が滑っちまいました」
そしてその先には、悪びれた様子が微塵も感じられない総悟の姿。
土方が勢いよく総悟の胸元を掴む。
「滑るかァァァ!テメーこれ以上近藤さんがパーになったらどうする気だコラァ!」
「パーって土方さん…こんなんでも近藤さんは一応ここの局長ですぜ」
「その局長の後頭部に酒瓶投げつける奴があるかァ!」
胸元を掴まれながらもしれっとしている少年の姿に、銀時は少年が人並みに嫉妬という感情を持ち合わせてる事を知る。
(…こいつは、俺のやりてェ事ァ先々にやってのけんな)
恐れ知らずの行動力に嫉妬しながらも、僅かばかりの賞賛が心の隅に宿る。
「おい、大丈夫か。なあ、近藤さん」
相変わらず仰向けに倒れる近藤の側に寄り添いその肩を揺らす土方の隣で平然と酒を口に運んでいる総悟の姿に、ふっと苦笑を浮かべた。
(…俺ァお前ほど逞しくねェみてーだ)
「あー…うるせぇな」
意識の戻らない近藤に呼び掛けを続ける土方に、今まで感じた事がないような怒りを覚えた。
そして気付けば、ぽつりと本音が零れている。
「あ?」
その言葉に目付きの悪い瞳を更にぎらつかせて自分に振り向いた土方に、銀時は酒を煽りながら言葉を続けた。
「んなもん放っときゃ起きんだろうが。いちいちテメーはうるせェんだよ」
「…何だテメー、喧嘩売ってんのか?」
「そんなにゴリラが心配なら、鎖にでも繋いで檻に入れといたらどうですか?あ、間違えて動物園に連れてかれねェようにな」
そんな嫌味ばかりが口から飛び出して、でもこの怒りをどうすればいいか、自分には分からなくて。
「…絡み酒かよ、タチ悪ィ」
舌打ちをして自分を睨み付ける土方の瞳に、行き場のない怒りが増幅する。
(…まずい)
(このままじゃ、まずい)
「…俺、先に部屋戻ってるわ」
何とかして口に出た言葉を吐き捨て、ゆっくりと立ち上がり広間を後にする。
「?おい…」
土方の声が聞こえた気がした。
だけど俺は、その声にすら振り返る事が出来なくて…。