短編
□長い夢
6ページ/12ページ
*****
(どこが大浴場、だ)
風呂場にさげられた大浴場の札を眺めながら、銀時は小さな文句をこぼした。
渡り廊下の先にこじんまりと設けられた大浴場と呼ぶには些か質素な建物の奥には、男5、6人が入るのに精一杯であろう脱衣場。
この脱衣場に群がる隊士達の気苦労が身に染みた。
籠の一つにタオルと木刀を入れその場を陣取ると、土方はそこから精一杯離れた距離の籠に同じくタオルを投げ捨て肩と右腕を繋ぐ支えの包帯を口で器用に外し隊服のスカーフに手をかけている。
(…脱ぐんだよね、それまさに今脱いじゃうんだよね。あー…うん、普通は脱ぐんだけどさァァ…)
シャツを脱ぎ始めた辺りからは横目で男を覗き見る事さえ儘ならない自分を叱咤して、銀時は冷や汗を流しながらその場に立ち尽くしている。
しかし男は、そんな銀時を尻目にさっさと服を脱ぎ捨てると、外装とはアンバランスなすりガラスの扉を開いて、また足早に浴場へと消えて行った。
それに続いて躊躇していた着物を脱ぎ捨て腰にタオルを巻くと、すぐに濡れてしまうであろう髪を鏡の前でサッサと手櫛で整え
(…何やってんだ)
やる気のない表情を浮かべた鏡の中の自分に無表情で問い掛ける。
「うお、寒…」
外気の流れるお世辞にも立派な作りとは言えない脱衣場に裸の上に巻いたタオルが一枚。
ぶるっと悪寒が走ると、身を縮込めて浴場の入り口に手を伸ばすが、その直前でピタリと足を止める。
(…健康ランドの時に一回見たけどなぁ…。あん時はまだそんな意識してなかったし…)
髪をばりばりとかくと、ふっと俯いて自分の下半身に視線を向ける。
(…それこそ反応しちまったらただの変態だろ。堂々と道歩けねーよ。後ろ指差されながら生きてくしかねーよ)
己を叱咤し、キッと目の前の扉を睨み付けた。
(男、坂田 銀時!いっきまァァァァァす!)
覚悟を決め勢いよく扉をスライドすれば、扉はシャァと滑るように開かれていく。
そして、白い湯気が立ち込める浴場の中、明らかに自分の目線の真ん中に立ち上がりシャワーを浴びている想い人は
「っ、早く閉めろ、寒ィ」
そう言って不機嫌そうに自分に顔を向けて…
(あたぱぁぁあああっ!)
悲鳴をあげながら叩きつけるようにその扉を反対に引けば、シャァァァと先程のように勢いよくスライドされ、バタン!と大きな音を立てて扉が閉まる。
「ままま真上からかぶるだとぅ…?」
突然の心拍数の上昇に、頭までは付いて来なかったのか、バクバクと鳴り響く鼓動が思考回路が狂わせる。
真上から、浴びるようにシャワーをかぶる男の破壊力に先程の決意は何処へやら、いきなりめげそうになりながら、柱に手をかけ小さくうなだれた。
数分の葛藤の後、ようやく扉を開く事の出来た銀時は、包帯を濡らさないよう縁に腕を置いて湯に浸かる土方の姿を横目で眺めながら、「失礼します」と心の中で呟き湯船に浸かった。
蒸気で視界は霧がかかったように曇っている。
「?遅かったな」
湯に浸かった自分に眉をひそめながら問い掛ける男の姿を一瞥だけすると、銀時はすぐに視線を反らして
「…あぁ、ちょっと忘れ物をね」
モラルと言う名の忘れ物を取りに帰った自分に苦笑いを浮かべる。
脱衣場に比べ広めに作られた浴場の端と端に二つの頭。
湯気が立ちこめるその空間で、数秒に一度、男の横顔を盗み見る。
(惚れてる男が隣に、しかも全裸で居るっつうのに直視すら出来ねーよ。…どんだけ俺ァ小心者なんだ)
濡れた前髪をかきあげると、湯を両手ですくって、ピシャリと顔にかけた。
ほんのり紅く染まった頬に、濡れた首筋。
額にはりついた前髪をゆっくりとかきあげては、唇から息を洩らす。
ちらりと横目で男を盗み見ては、あまりに悩ましい姿で。
(…あー、犯すぞコラァ…)
眉間に皺を寄せ、あまりに自分勝手な台詞を思えば、また小さな息を吐きチラリと男を覗き見るのだが、その瞳は運悪く本人と重なってしまったのだ。
それに気付き慌てて目線を反らせば、
「…何見てんだよ」
予想通り男は怪訝そうな表情をして尋ねてきた。
「は、はぁ?何も見てねーよ。自惚れんなよコラ。お前なんざ見るくらいだったら、そこの洗面器見てた方がマシだボケ」
「あァ!?テメーがこっち見てっから目ェ合ったんじゃねーのかよ!」
「そしたら必然的にテメーだってこっち見てんじゃねーか!人に責任擦り付けてんじゃねーぞコノヤロー!」
むきになり湯船から立ち上がると、男は同じくザバンと音をたて湯船から立ち上がって。
「…ハッ、誰がテメーなんざ見るかよ。目が腐る」
「腐ってねーじゃん、現在進行形で」
「俺の視界にテメーが入ってると思うなよ、ガキが」
(どっちがガキだよ)
喉まで出た言葉を飲み込んで大きなため息をつくと、銀時は腰を落としてまた湯に浸かる。
ざぶんと湯船から湯が流れた。
男は小さな舌打ちを洩らすと、同じように湯船に腰を落としている。
(…憎まれ口以外でねェのか、俺ァ)
もともとの俺達と言えば、顔を合わせりゃ口喧嘩ばかり、互いに譲れないものがあるだけに折れる事を決してしないから、最後には収拾がつかなくなって、不完全燃焼。
それなのに、町で偶然その姿を見かける度に、気付けばその背中を何気なく追い掛けて。
気に入らねェ、何度もそう呟いては、頭から離れねェその男に悩まされて。
こいつの為に(せいで)、何度怪我をしたかも分からねェ。
こいつとの間に、良い思い出なんてあったもんじゃない。
それなのに、町で見かけたその姿に、突っ掛かっていくのは何故だ。
充実してる、なんて馬鹿か俺ァ。
だけど気が付きゃァ、こいつでいっぱいいっぱいになって。
それなのに、出て来るのはいつもの憎まれ口だけで。
(どうすりゃいいんだ、俺ァこいつとのまともな会話のやり方、何も知らねーよ)
「…月、が」
ずっと黙り込んでいた男の声が、ぽつりと響いた。
「え?」
間抜けな声を出してその俺に振り返ると、男は上を見上げて
「…そこの小窓からいつも見える」
ぶっきらぼうにそう告げる。
「月?どこ?」
男の見上げる先に視線を辿ると、小さな換気用の小窓から宵の闇の中ぽっかりと満月には一歩足りない歪な月が浮かび上がっていた。
「すげー、案外近ェのな。万事屋から見るよりデケェぞこれ」
「嘘吐け」
「いやいや、まじで…」
月から目線を離し、横に居た男に振り返った瞬間、月の光に照らされた男の横顔は微かだが、確かに微笑んでいて…
(こいつに、触れたい)
ドクン、と心臓が脈打った。
(こいつを、抱きしめたい)
不意討ちに緩まった蛇口から、積もった思いが溢れていくのを感じる。
「…な、何だよ」
不思議そうに自分を見返した男に、ふっと苦笑した。
例えば、この恋の為に全てを投げ出す勇気があるのなら、俺は今すぐにでもこいつを強く抱き締めて、どんなに抵抗されたって、離してなんざやらないんだろう。
例えば、今まで積み上げて来た関係を壊して、最悪の結末さえ考えなければ、俺は何にでもなる事が出来るんだろう。
だけど、傷つく事を厭わないと言えるほど、俺は強い人間でなければ、1mmの理性を捨てされるほど、無鉄砲な人間でもない。
ちっぽけな今までの思い出さえ宝物のようにしまい込んで温めている俺に、そんな勇気が無い事、ちゃんと分かっている。
こんな馬鹿みてェな思い、どうか消えてしまえと願った所で、思いは強くなるばかりだって事、ちゃんと知っている。
「…のぼせた、あがる」
そう小さく呟いて、小窓から差す月の明かりに目を細めれば、歪な月がゆらゆらと形を歪めている。