短編
□長い夢
4ページ/12ページ
鬼の副長、そんな物騒な呼び方をされて巷で恐れられているこの男が、ただ人よりひどく不器用なだけで、鬼というには優し過ぎる男なのだと俺は知っている。
怪我を理由に職務を怠る事なく、むしろ普段以上の働きぶりを発揮する男を目の当たりにした銀時は、思わず感心のため息を洩らした。
かぶき町の見廻りに、部下の引率、それが終わればもう既に数時間は机に向かっているであろう書類の整理。
怪我で使えない利き手に代わって、左手に筆を持ち苦難しながら何とか作業を進めている男は、集中力も途切れずに黙々と仕事をこなしている。
(睫毛なげー…)
緊急事態が起こるような雰囲気すら無い。畳に足を放り出して寝転がりながら大きな欠伸をして銀時が男の横顔を眺めていると、ぴたりと筆の動きが止まった。
「…何だよ」
「ん、そろそろ休まねェのかなって。他の奴等なんざ副長差し押いて夕飯食ってんぜ?」
「ああ、お前も行って来い。俺も後から行く」
後から行くと言った男は、また筆を握り作業に取り掛かっていて、すぐ後から来るようにはどう考えても見えない。
銀時は肩を下ろした。
小難しそうに眉をひそめる横顔も、煙草をすいながら前髪をかきあげる様も、たまに小さなため息をもらす唇も、どれだけずっと見ていても、飽きる事なんて無いのに。
(今のは飯の催促に捉えられたな…)
「お前放っぽいて飯食いに行くほど薄情じゃねーよ。俺ァお前の怪我が治るまでしっかり仕事すっから」
「だからいいって言ってんだろ、うぜェ」
男の心底嫌なそうな表情に、ふっと鼻で笑ってやる。
このチャンスを楽しもうと決めた。この思い出をこの先の糧にすると決めた。
(どんなことを言われようが傷つかねーぞ!残念だったな!)
「るせェ。今日は特に何もしてねーし、金貰う上にお前置いてタダ飯じゃ気分悪いだろうが」
「あー、テメーがそこまで律儀な奴だとは知らなかった。分かったからさっさと行って来い」
目線は机。手の平をヒラヒラとさせながら、自分を追い払おうとする男に怒りを覚える。
「ったく、テメーは存分しつけーな!俺がいいって言ったらいいんだよ!」
「なっ、てめぇ逆ギレかよ!人がせっかくお前なんかに気ィ使って…」
「うるせェ!俺ァお前の側に居れりゃァそれでいいんだよ!」
そして、急に世界が暗転。
ぽろっとこぼした本音に、血が冷める音がする。
(やべェ…本音が…)
起死回生を図ろうと引きつった笑みを口元に含みながら小さく息を飲む。
「…いや、あれだ。その、もちろん仕事的な意味で。銀さんこう見えて意外と完璧主義者だからね。廁のトイレットペーパー三角に折らないと気が済まないタイプだからね」
「…そうは見えねェけどな」
銀時の焦りようとは別に、男は少々の訝し気な表情を浮かべただけで、諦めたのか、何を言っても無駄だと感じたのか、小さなため息をついて、筆をからんと机に落とした。
「…もういい。飯行くぞ」
「え?仕事は?」
「明日やる」
不機嫌そうに立ち上がって、強引に自分腕を引いた男にひどく感動して、
「お、俺の為…?」
気が付けば、そんな馬鹿みたいな台詞を口走っていて。
「お前がうるせーからな」
否定しない男の言葉に、死ぬほど泣きそうになった。
柱に掛けられた食堂と書かれた木札。
部屋の襖を開ければ、米の炊ける匂いと、味噌汁の匂いが鼻に広がった。
ざわざわと活気だった食堂には隊士たちが溢れ返り、見れば揃いも揃ってがたいのいい男臭さ満点の野郎が会話を交えながらガツガツと食事をしている。
動物園にでも迷い込んでしまった錯覚を起こしながら銀時は小さなため息を洩らした。
「あれ、旦那?」
その中に一人、他の隊士に比べればまだ可愛げのある少年の声に、おおっと声をあげて総悟の隣の椅子に腰をかける。
「おー、沖田くん。普段なら生意気なクソガキにしか見えねェお前が、今は一輪の花のように見えるぜ」
「一輪の花って旦那、照れちまいまさァ。何で旦那がこんな所にいるんですかィ」
「あれ、お前聞いてないの?おたく等の副長の怪我が治るまで、護衛依頼されちまってよ」
その言葉に総悟は目を細めて何やら企むような表情を浮かべると、銀時を挟み横に腰を下ろしていた土方ににこりと笑いかけた。
「へえ?そりゃ頼もしい護衛ですね、土方さん」
「っ、」
ぴくりと眉を動かしたきり返事をしない土方を楽しそうに眺める総悟の姿に、何だ、と思いながらも口には出さず銀時はチラと総悟を一瞥するのみだった。
「旦那、副長!ご飯持って来ましたよ。副長にはスプーンも付けときました!」
「お、ジミーじゃん」
お盆に乗せられた二人分の食事を抱えやって来た山崎の割烹着姿に銀時は何だか気の抜ける思いを感じながら、ご飯に味噌汁、焼き魚に山菜という立派な和食に感動を覚えた。
「あちゃあ、その腕で焼き魚たァ土方さんどうしやす。俺が食べさせてあげましょうかィ」
「おおお男、山崎 退!副長の為なら僭越ながらあーん、を」
「いるかァァァァ!」
山崎の顔面に飛んだ土方の鉄拳。山崎は目にも見えない早さで数メートル程飛ばされた後に、青ざめた顔色でがくんと首を落とした。
「…え?あれ大丈夫?何か死んでね?」
「旦那大丈夫でさァ。いつもの事なんで」
左手にスプーンを掴み配膳された食事を不機嫌そうに食べ進めている土方の姿を総悟は満足気に見つめながら、小さな笑みを浮かべた。
「鬼の副長とも言われるお人がスプーンで食事たァ笑いもんでさァ」
「…………」
その言葉に土方は更に眉をひそめるだけで、返事もせずに黙々と左手で食事を口に運んでいる。
「可愛いですぜ、土方さん」
「ぶっ!」
その言葉に口に詰め込んだ米を吹き出したのは銀時だった。
「げほっ…ごほっ」
むせ返る銀時を土方は不思議そうに見つめている。
銀時は咳込む体で喉に水を流し込むと
(…俺が思っていた事を、いとも簡単に言いやがる…)
総悟の姿を恨めしそうに見つめた。
「旦那平気ですかィ?急にどうしたんでさァ」
「いや…別に…」
「そんながっつかなくても、お代わりならありますぜ」
「るせェ!」
(…いちいちンな事で動揺してたら体が保たねェ)
ガブガブ水を飲みながら、総悟に視線を向ける。
(…こいつは何がしてェんだ)
瞳が重なり、やましい気持ちなど無い筈なのに反射的に目を反らしてしまった。
奴の含み笑いに意味深な思いを感じるのは、過敏になり過ぎているだけではないだろう。
銀時は息を吐くと、自然を装いながら呟くように唇を開いた。
「つーかさ、わざわざ俺に頼なくても沖田くんならお前の護衛に最適じゃね?仕事してねーし、丁度いいじゃん」
「そうでさァ。何で俺に一言の相談もしねェんでィ」
「冗談抜かせ!逆に命狙われるわ!」
「あんま自惚れないで下せェ。階段から落ちた間抜けなあんたにゃ、こっちは殺意も芽生えねぇや」
「誰が間抜けだコラァ!」
怒鳴り声と共にがたんと椅子から立ち上がると、土方の右肩に刺されるような痛みが走り、
「っ、てェ…」
顔をしかめながら肩を押さえ、ずるずると椅子に倒れ込む。
「あーあー、怪我人が」
「…あのさ、頼むから死んでくれね?真選組の為に。あれだ、殉死って事にしといてやるから」
「嫌でィ」
土方を取り巻く全ての要因に、いちいち嫉妬してたらキリが無い筈なのに。
(…俺ァ存外女々しいな)
銀時は頬杖をつきながら二人の言い合いを眺め、誰にも気付かれないような小さなため息を洩らすと味噌汁の椀を机に置いた。
「っ、行くぞ」
その時、突然に土方に腕を掴まれ強い腕力でふわっと椅子から腰があがった。
「へ?」
「旦那、おやすみなせェ」
笑顔で手をひらひらと振っている総悟の顔を眺めたまま、訳も分からないまま引きずり出されるように食堂を後にした。
薄暗い渡り廊下を、土方は無言で歩き続けている。
冷えた廊下を裸足で通る度に、ぶるっと寒気が身体に走る。
自分の腕を掴んだままの土方は、相変わらず早足で渡り廊下を進みながら、
「前言撤回だ」
ぽつんとそう呟いた。
「は?前言撤回?」
その言葉に銀時が首を傾げると、土方はようやく掴んでいた手を離して、ゆっくりと銀時に振り返る。
「俺の怪我が完治するまでは、ずっと側にいろ」
「…へ?」
切羽詰まった男の表情に、思わず心臓が高鳴る。
(何ドキドキしてんだ俺は…)
胸を押さえて男を見返すと、男はまた唇を開いて
「ずっとだ、ずっと。今日から俺の部屋に泊まれ、四六時中離れないでくれ」
またそんな言葉を繋げるものだから、鼓動が更に動きを早めてしまう。
「ななな何で急に…」
ようやく自室へと戻ると、男はピシャリと襖を閉めて、襖を背に深刻そうな表情を浮かべ
「…総悟に、やられる」
そう、些か頼りない声で言い放った。
「?あいつなら怪我してるお前にゃ殺意も芽生えねェって、さっき言って…」
唇を開いたまま擦れた声を洩らせば、男はゆっくりとその瞳を伏せる。
「…そっちのやられるじゃねェ」
「?じゃあ何だよ?」
「だからやられるって言ってんだろーが!」
「だからどういう意味だって言ってんだろ!」
「…っ、総悟に掘られるって言ってんだ…!」
(…ほ…掘られ…?)
目を見開いたまま固まっていると、男はため息を洩らしながら畳に胡坐をかいて自分を睨み付けるように見上げる。
「あいつの新手の嫌がらせだ。最近じゃ寝込みから浴場から所構わず襲ってきやがる」
「おおお襲われ…?」
「…普段なら適当に追い返せるんだが、正直この腕で総悟を追い返す自信がねェ…」
終止言いずらそうに言葉を繋げる男に驚愕して、その次には怒りが込みあげた。
「な、何だそれ。んなもん嫌がらせの域超えてんだろ。好かれてんじゃねーの?」
「はァ?誰がだ!俺に確実に最高のダメージを与える悪質な嫌がらせだろうが!」
「…襲いてぇぐらい、好きなんだろ」
(これは俺の台詞だ)
「…勝手にホモにすんな、気色悪ィ」
突き放すような台詞を遠慮無しに垂れ流す土方に苦笑を浮かべながら、心を誤魔化す。
(…これくらい、なんて事ない)
「…あー、そんなこたァいいから、とりあえず頼む。食堂であいつに嫌なこと言われて気分悪ィ」
「何て言われたの?」
「…今晩、楽しみにしてろ」
げんなりした表情。
(これだけ過敏に反応してるってこたァ、頻繁に襲われてるんだろな…)
拒絶される姿を見ておきながら、憎たらしい程に総悟を羨ましく思った。
本能に忠実に。
欲しいなら、無理やりにでも手に入れればいい。
答えはあまりにもシンプルなのに。
「…ああ、ずっと居てやる」
傷つく事を厭わないなんて、俺には一生言えない言葉なんだろう。