短編

長い夢
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男所帯の家屋にしては小綺麗な庭。砂利が敷き詰められ、池には鯉まで優雅に泳いでいる。

「へぶしッ!」

長い渡り廊下を早足で進む男の背中にまた早足で付いていくと、突然ぴたんと止まった土方の背中に勢いよく鼻をぶつける。

「テメェ!いきなり止まんな!鼻ぶつけ…って、これ鼻血出てね?」

「ああ、わり」

「わり、じゃねェェ!いい年こいて鼻血ってこれ、お前まじふざけんなァ!」

鼻を拭いながら文句を垂れれば、土方は下から上へと自分に視線を流して眉をひそめ、懐からちり紙を取出しぽんと投げ渡した。

「屯所をテメーの汚ェ血で汚すんじゃねェ。ちり紙はどうしたちり紙は」

「おお、さんきゅ。あー…鼻の奥切れてるわこれ」

ちり紙を常備しているという意外な一面にまたやられながらちり紙を鼻につめると、

「はっ、まぬけ面」

土方は小さな笑みを浮かべて、踵を返しまた足を進めて行っている。

(…嬉しそうな顔しやがって)

両鼻に詰めたちり紙を更に奥に詰めて、本当にまぬけな姿だ。
それでも、あんな顔が見られるなら、悪くない。



渡り廊下突き当たりの部屋。襖を開き付いて来いと銀時を一瞥すると、土方は畳にどんと胡坐をかき、同じく腰を下ろした銀時の姿を確認して、ちらりと辺りを見回し声をひそめた。

「…お前口だけは達者だろ。それを見込んでひとつ頼みてェ事がある」

「土方君。だけ、は余計だよね、頼み事うんぬんの前に」

「なっ、てめ!声がでけェんだよ!聞かれたらどうすんだコラァ!」

「いやいやいや!どう考えても今のお前の声のがでけェだろうが!」

「今のテメーの声が一番うるせェェェ!」

「ぶへぁッ」

頭を掴まれ机にガツンと叩きつけられた額に、ちかちかと星が瞬く。

ここまで横暴な男に惚れるなんざ、俺はどえむか。

「てめ、せっかく止まった筈の鼻血がまた…」

「これに懲りたら声を荒げるんじゃねェ」

「もう何だよお前は…。そんで何すりゃいいんだよ」

その言葉に土方はまた左右を確認して、ズイと銀時に近寄ると、

「近藤さんは生粋のお人良しの上に、極度の心配性だ」

ボソリと、だけど確かな断言の台詞を発した。

「だからあの人ァ護衛を頼む上で、お前を俺の部屋に寝泊まりさせろと言ってきた」

「お、お前の部屋で?」

思わず言葉がどもる。
だか男はそんな様子を気にもとめずこくりと頷き、また自分を見つめ返した。

「そうだ、だが俺ァそんなの御免こうむる。…それなのに近藤さんが言って聞く耳を持たねェ。だからお前が何か適当に近藤さんを言いくるめりゃァいいと思って」

男の余りに真剣な表情に、そんなに嫌か…と泣きそうになった。
大将も頑固なら、こいつも劣らず頑固だ。

「…別に言ってやってもいいけど、もし駄目だった場合はどうすんだ」

「その場合は、近藤さんの目を盗んで俺の隣の客室にでも身を潜めろ」


(…用意周到なことで)

ふっと苦笑が洩れた。

こんな男所帯で過ごしている土方にとって、同性と同じ部屋で寝泊まりするぐらい、大した事ではない筈だ。

(…俺、だからか)

そんな事にいちいち胸が疼いて、自分の女々しさに吐き気がした。



「お前、昼飯食ったか」

その静寂を切り裂くように、向き直る事もなく煙草を燻しながらそう呟いた男に、銀時はふっと我に返る。

「いや、昼飯どころか2日前からまともなもん食ってない」

「じゃあ昼飯行くぞ、護衛の間は食わしてやる」

「え?」

ぶっきらぼうにそう言い捨て立ち上がった男の姿に、舞い上がる俺の心は、どれだけお手軽なんだろう。

だけど今は純粋に久しぶりの食事を目の前の男と食べれる事が嬉しかった。

「経費?お前の奢り?」

「テメーの飯に経費が使えるか。奢りだ奢り」


突き放したと思えば、また引き寄せるから、飽き性の俺には丁度いい。

自嘲気味に微笑んで、銀時はまた男の背中を追った。



*****

「あのよう、お巡りさん」

「あ?」

「パフェとの一週間ぶりの再会の場でね、何か横で酸っぱい匂いがね、するんだけどね」

目の前には、チョコレートパフェ。
至極至福な場でスプーンを片手に幸せを噛みしめていると、同じく些か嬉しそうな表情で、頼んだ御膳定食にマヨネーズを並々と垂れ流している男の姿に、ハタと手が止まった。

「あ?何か文句あるか」

「そんなもん目の前で食われてたらね、食欲も無くなりますよね」

「?何でだ?」

嫌味で言ったつもりなのだが、どうやら無自覚らしき男のきょとんとした表情に、

(か、かわ…)

そこまで思って、後はパフェと一緒に飲み込んだ。

「…も、いい。何でもない。はい、灰皿」

灰皿を探している土方の視線に気付き灰皿を手渡す。

「お前が家空けて、ガキ共は大丈夫なのか」

「ん、俺が帰って来るまで、お妙の家で預かってもらう事なってるから別に大丈夫」

「お妙…ああ、近藤さんの…」

近藤さん、そうこいつが口にする度に焦燥感を感じる。

近藤の為に俺を斬りに来た土方、真選組の為に妖刀に喰われた身体で、俺に助けを求めた土方。

俺に頭を下げるなんて、どんなに屈辱だったろう。
それでもこいつは、近藤を、真選組を、守りたかったんだ。

(…勝てる訳ねーだろ)


「…いい加減おたくの大将も諦めることを覚えねーとさ、いつかまじあの女に殺されんぞ」

パフェを口に運びながら何気ない顔で、そう口にする。

「副長さんも大事な大将見張ってねェと、危ないんじゃねーの?こう言っちゃ何だけど、お妙はこれっぽっちもゴリラの事思っちゃいねェよ?」


「……黙れ」


見上げた先には、煙草を唇から離して自分を睨み付けている、惚れた野郎の姿。

「…そんな事、お前に言われる筋合いはねェんだよ」


ほら、またムキになる。

近藤と真選組の事になれば、こいつは自分の命も、他の人間の命さえも顧みないような人間だ。

「何だよその言い方。俺はゴリラがこれ以上怪我しねェ内にだな…」

「…そんな事ァ言われなくても分かってんだよ」

「分かってるのに、何であんな無謀な事ばっかするんだろうね」

「…黙れって言ってんだろ」

(だって、傷つく事を厭わないなんて、馬鹿なやり方だろ)

(報われねェ癖に、努力なんざ、傷つく要因を作ってるのは自分じゃねーか)

「…本人が諦めてねェ内に、テメーなんざが知ったような口聞くんじゃねェ」

「上司思いの部下だこと。ゴリラも幸せだな、こんなに思ってくれる人間がいて」

憎まれ口だけは、すぐに出てくるのに、肝心な事は何ひとつ言えやしない。

本当に幸せだよ、ゴリラは。
お前に、こんなにも思われて。

「…チッ、もういい。何だテメーは。人を苛つかせる事しか言いがらねェ」

「口だけは達者、土方くんが言った事でしょ」



*****

びゅうと肌寒い風が吹いた。
利き腕を吊した副長の隣に並び、屯所までの道をゆったりと歩いて行く。

近藤を筆頭に真選組の連中はどうやら心配性の巣窟らしい。

怪我をしても鬼の副長のオーラは健在。
男の殺気だった雰囲気に、すれ違う善良な市民は息を飲んで道を譲り、男はそれを当然のようにやり過ごしている。

護衛など笑ったもんだ。

こんな瞳孔かっ開げた強面に斬り掛かる野郎が居るのなら、一度お目にかかりたい。

そしてそれとは裏腹に、艶やかに化粧を施した女は男の横顔をうっとりと見つめ、水商売の女達はこぞって男の元へと足を運んでいる。

しかしこの男は、相変わらず澄ました表情を浮かべながら慣れた素振りで群がる女達の間を通っているものだから、男としての僻みが勝るもので。

「…二枚目、ねぇ」


確かに男にしては秀麗で整った横顔を眺めながら、自分は一体この男のどこが良いのだと問いかけてみる。

同じような背丈。
決して華奢とは言えない肩幅。
固そうな骨張った身体。

この男を抱きたいと考える自分に改めて、大丈夫か?と聞いてやりたい。


「…何ジロジロ見てんだよ」

「いやね、そんな怖ェ面してる癖に意外にモテるんだなって」

「テメーなんざに比べたらな」

「まあ真実だから言い返せねーけど」

ちぇ、と舌打ちを浮かべて素直に相槌を打つと、先程まで澄ましていた男はピタリと足を止めて、その横顔はみるみると赤く染まっていった。

「そっ、そこは何でもいいから何か言いかえす所だろうが!何だテメーは!普段ならその天パなり理由にして百倍は言い返す癖に!」

「え?何で赤面?何か言い返さなきゃ駄目だった?」

「テメーが言い返さなけりゃ俺が自惚れてる感じで終わっちまうだろうが!俺は断じて自惚れてねーぞ!」

「…あの、あれだ、俺だってあれ…天パじゃなけりゃテメーに劣らずモテモテだったんだからなコノヤロー」

「俺に言われたから仕方なく、みたいなのも止めろ!イラっとする!」

男は眉間に皺を寄せながら両拳を握ると、その後何かを考え込んで小さな息を吐くとゆっくりと肩を下ろした。

「…さっきっから何なんだよ、テメーは」

「え?」

「そんなに嫌なら護衛なんざ辞めてさっさと帰りゃァいいだろ」

突然そう言い放った男の言葉に、ぽかんと口を開いたまま訳も分からずに、再度「…え?」と問い掛ける。

「まあ気が進む訳ァねーだろうな。もともと何かを頼むような間柄でもねェし」

「?俺は別に…」

目の前の男は煙草を取り出すとその先端に火を灯して大きく煙を吐き出す。

「嫌なら辞めりゃァいい。生活の為にやるっつうなら、近藤さんの前だけ近くに居れば後は何も咎めねーから、お前の好きにしろ」


そう言って、ぷいと背を向け歩きだした男の後を混乱しながらも追いかけた。


俺は、いつでもこの背中を追いかけている。

この背中は、俺の気持ちなど一つも分かっちゃいない。

側に居るだけでこんなにも苦しくて、それなのにこんなにも嬉しくて、俺が滅茶苦茶になっていく様を知る由もない。

何も知らないこの男を責めるのは、筋が通ってない、そんなこと分かっているのに、

この憎しみにも似た感情を、押し込める場所が、俺にはまだ見つけられなかった。


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