短編

長い夢
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それは、締め付けられるような胸の痛みが段々と麻痺して来た頃だった。

依頼もなければ客も来ない、万事屋にとってはごく平凡で日常的な平日の朝。

昨晩の安酒の所為か、鈍く重い頭痛を抱えながら机の上に足を組み椅子の背もたれにゆったり背中を預けていると、玄関扉の開く音に銀時はふっと視線をくべらせる。

その先にあったのは、警官の隊服を身に纏った見覚えのある黒髪の男。
玄関に置かれた靴置き場が見えなかったのか、靴をしっかりと履いたままズカズカと室内へと上がり込み、

「頼みがある」

そう言い放った男の瞳は、相変わらず偉そうに銀時を見下ろしていた。

しかし無表情(むしろ怒りすら感じられる)で自分の目の前に立っている土方十四郎という悪徳警官、普段と様子が違う。

漆黒の暑苦しい隊服の上、右肩から腕にかけてぐるりと巻かれた包帯が右腕を大袈裟に吊るし、何とも不自由な格好なのである。

そしてその表情はえらくご機嫌ななめ。頼みがあると告げた唇は不満げにつぐみ、顔には不本意という文字が大きく記されている。

そのまま黙り込んでいる男の姿に、銀時は気まずそうに視線を向けて、足を組み直しながら意を決したように息を吐いた。

「…で?その怪我はどうしたの。沖田君にでも斬られた?」

「茶化すな。あんな奴に斬られるほど俺ァ鈍ってねェ」

親の敵でも見ているかのような相手の瞳に理不尽過ぎると思いながら、頭の後ろで指を交互に組む。

「はいはい、すんませんしたァ。そんで?真面目にその怪我どしたの?」

「…階段から落ちた」

男はそう言い捨て、どう考えても自分の過失である事故に何故か舌打ちまで付けている。

このプライドの高い男が、自ら足を運び、寄りによって蛇蝎の如く嫌う自分に(あ、自分で言って傷ついた)頼み事をしに来たなんて普通じゃあり得ない話で。

銀時は不信感を募らせながら男を横目で一瞥し、ぼりぼりと髪をかいた。

「そんで?頼みって何?」

「…………」

銀時の問い掛けに、土方は相手の表情を伺うように視線を上げている。

その男の仕草に思わずドキリとする。銀時は反射的に着流しの合わせ部分に手の平を置いて、

「何、そんな言いずらい事なの?」

何気なく相手に視線をやると、ようやく男の唇が微かに開いた。

「…護衛」

「…え?」

「っ、怪我が治るまで俺の護衛をしろッ!」

予想だにしなかった男の怒鳴り声と勢いよく仕事机を叩きあげた音に、銀時は椅子ごと後ろに倒れかけるが、何とか態勢を立て直す。

瞳孔の開いた鋭い目付きを見上げれば、男は銀時のそんな行動をものともせず、

「期限は腕が完治するまで。テメーの仕事は怪我に乗じて俺の首を狙う野郎を片っ端からぶった斬る」

あまりに物騒な台詞を平凡な一般市民に向けているこの悪徳警官に、銀時は溜め息をつきながらオーライと両手を挙げるのだった。


「…はァ、これが警官の台詞かよ。普段のお前なら、俺の世話になるぐれェなら死んだ方がマシだ、とでも言いそうなもんだけどな」

「…確かに死んだ方がマシだな」

開きっぱなしの瞳孔に軽く引きながら、しれっとそう呟く相手に眉をひそめる。

「んで?」

「俺はテメーなんざに借りは作りたかねェんだが…」

「俺達の副長が心配で仕事も手につきません!護衛を誰かに頼んで下さい!って?」

「隊士達もうるせーが、一番は近藤さんがな…」

土方はそう言うと、困ったような表情を浮かべて

「…あの人には心配かけたくねェんだ。言う様にしてやりたい」

そんな事を、酷に言うもんだから、俺は思わず苦笑い。


麻痺した胸の痛み。
こんな事に心を傷めるなんて、馬鹿らしいだろ。
別に全然、痛くない。
ただ、胸の奥が疼くだけ。

「そんなに愛されてる副長様なら、適当な隊士護衛につけたらいいんじゃね?わざわざ何で俺?」

「…俺の過失に隊士を巻き込むのは気が引ける。それに奴等に負担はかけたくねェ。…その点テメーなら、気負いする事もねーし…」

土方の見上げた先に、丁度瞳が重なる。

思わずその瞳から視線を反らしてしまった自分を自嘲し、わざとらしく大きな欠伸をした。

「ふわァ、っと。わざわざ足運ばせちまったけどさ…」

相手に向けた事のないような笑みを浮かべ、

「俺そういう命張る?みたいな重たい仕事はしない主義なんだよねー。悪いけど他当たって下さーい」

ぺらぺらと嘘を吐ける自分の器用さに、いっそ清々しさすら感じた。

一緒に居れるだけで、幸せなんざ思わない。

こいつの側に居れば、俺はボロボロになる。


「…そうか、悪かったな」


男は少し黙り口を開くと、文句ひとつも言わずにゆっくり玄関へと歩き出した。

俺は、その後ろ姿を見送る。


(…抱きしめてぇ)


初対面で、いきなり俺に斬りかかって来た三白眼の男。
二度目の再会では怪我だってさせられる始末。
俺を見る度に刀を抜いては、闘争本能剥き出しで斬りかかってきやがる。第一印象どころか、その先だって最低な筈だった。

それなのに俺は、こいつが抱えているものに、不器用で損な生き方に、貫き通す信念の強さに、触れてしまった。


野郎が野郎に恋する気持ちなんざ知らねぇし、知りたくもない世界だった。

それなのにこの男は、俺の内側を気まぐれに掻き乱しては、消えない跡を残してくんだ。


気持ちを伝えたいなんて思った事は、一度だって無い。
この思いが報われようなんて話、夢のまた夢。

だけど、こんなどうしようもない関係さえ崩れてしまうが怖い。


(引かれちまうのも嫌だしな…)

パタンと呆気なく閉まった扉をただ呆然と眺めながら、銀時は姿勢も変えずに動けずにいる。


屋根の上で斬られた肩の傷。
この傷が、一生消えない跡になってしまえばいいなんて。


肩をなぞれば、傷はもう癒えている。


はじめは、会えるだけで良かった。側に居られるだけで良かった。
たわいもない口喧嘩でさえ、楽しくて、幸せだった。

だけど今は違う。

不毛な恋が、傷口を抉るように身体の奥から沸き上がってくる。

抱きしめたい、だとか、キスをしたい、だとか、その身体をめちゃくちゃに壊してやりたい、だとか。

そんな風に思う様になれば、もう取り返しはつかない。
後戻りする事は、気付けば難しくなっていた。

傷つく事を厭わない恋なんて、結局は口だけだ。

もう、幸せな結末を考えるだけでいい。
幸せな夢を見るだけでいい。

(…俺の前に現れんな、コノヤロー)

掻き乱された、胸が疼く。

掻き毟りたくても、なかなか内側には届かないから、椅子の背もたれにゆっくりと寄りかかりため息をつくだけだった。


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