悪夢

□もう恋人のそれ
1ページ/1ページ

新弥は一人きりの淋しい帰路についていた。
ポケットが震える。メールだ。
向こうからくるとは、と新弥は喜んだ。
別にその相手がメール無精なわけではなく、いつも新弥が早く送るから、向こうが先なことが珍しいのだ。
しかし、電話ならもっと嬉しかっただろう。
『楽しかったあ
 新弥と呑むの、ほんと好き』
 こんな、“好き”なんて言葉を声に出して言われたら、たまらず抱きついてしまうかもしれない。
そう考えると、平静を装える分メールで助かった、とも思えた。
『俺のことも?』
と返信し、そのまましばらく画面を見つめていると待ち受け画面になった。
仲間として、友達として、撮ったプリクラだ。
その中の一人を見ていると胸が苦しくなったが、いつもの事だから病気を疑ったりはしなかった。
またポケットが震える。早くも来た返信は、
『何それ!(笑)』
というものだった。
酔って酔わせて甘えても、そう簡単には言ってくれないようだった。この作戦は失敗。
あとは冗談だったことにして他愛ない話へ転換し、
『おやすみ!』
まで到達したらこのメールのやりとりは終わりである。
それがいつも通りの関係だった。
同性に初めて恋をした新弥にできるのはそれが限界だったのだ。


恋の相手は『新弥と呑むの、ほんと好き』というだけあって、思わせぶりにも、何日もしないうちにまた新弥を家に誘った。
彼は、新弥が作ったつまみと、作ったというほどでもない、ただ混ぜただけの水割りを少しずつ口にした。
そうしながら、テレビの画面をぼうっと見つめていた。
隣でその横顔に見とれている新弥は、彼がその切ない視線に気づくことなど永遠にないように思えた。
正面だけを見ている彼のまつげが揺れる。
少しずつ、まばたきが増えてくる。
それもゆっくり、長いもの。
「酔ってきた?」
試しにそう聞いてみると、トロンとした目が新弥の方に向けられた。
「うん…」
彼はいつもより酔っているようだった。酒を濃くしてしまったのだろうか、と新弥は密かに首を傾げた。
深く息をしているのは、酔って息苦しいのだろうか、それとも酔うのが気持ちいいのだろうか。どちらにしても愛しく思える。
そして、頬を赤くして深く息をする姿は、セクシーだ。
恋をする相手にそう思うのは当たり前ともいえるが、初めて同性に恋をした新弥は、もっと純粋に愛さなければ失礼だと思っていたから、聞こえないように、気づかれないように、目を逸らしてこっそり唾を飲み込んだ。
すると不意に、彼が前に向き直り、すこし体勢を変えて座り直した。
そう思ったが、それだけではなかった。
彼は確実に、新弥の体の左側にぴったりとつくように移動していた。
触れるところが温かい。
いきなりどうしたのだろう、と新弥は考えた。
何かの間違いで酒がいつもより少し濃いくらいはあり得るかもしれないが、その程度でこんな変化はないはずだった。
彼をどうにかしてしまいたい気持ちが高ぶって無意識のうちに何か盛っていたのか?そんな記憶は欠片もないし、そんな薬の知識もないが…。
新弥が一人焦っているのを余所に、彼は少し頭を傾げるようにして、新弥の肩に持たれかかる。
体の左側が段々と“温かい”から“熱い”に変わる。
そうなってきたところで彼がまた少し動いた。
今度はくるりと向きを変えて、新弥の胸のあたりに額をつける。左腕は俺の右の脇腹につかまる。
花火でも打ち鳴らしているような鼓動はきっと彼にも聞かれてしまっている。どう思われるだろう。新弥がそう考えているうちに、右手も左肩に回された。
そして、後頭部にクッションの柔らかさを感じて、ああなんだかちょうどいいところにあった、と思ったときにはもう、ゆっくりとかけられた重みに負けていた。
愛する彼のことは華奢であると言ってやりたいが、正直、ずっしりと重い。
「んー…」
そのままの体勢で、彼が小さく唸った。
「あ、の、さ…?」
新弥は彼の方を見て、とりあえず何か、と思ってそう言いかけてみたが、何もいうべき言葉が出てこなかった。
彼は顔を上げて新弥を見た。
酔ってぼんやり、ではなく、しっかりと新弥の目の奥を見ていた。
心を覗き込むように真剣な、しかし、泣きそうな目で。
「…なんとかしてよ。
 もうこれ以上はどうしたらいいかわかんない」
それだけ言うと、また新弥の胸に顔をうずめた。
新弥はそれと同時にどこを見ていいかわからなくなり、胸のあたりに彼の頬のやわらかさを感じながら、ただ天井を見つめる。
彼は疾うに、新弥の気持ちに気づいていた。
だから、そこから聞こえる鼓動を感じても、何もおかしいとは思わなかった。むしろ新弥の気持ちを確信して心地良く思い、落ち着いた。
話の間とすると長く、そうとらえなければほんの少しの時間。10秒くらいだろうか、その激しい鼓動を聞いて、それから、彼は小さく言った。
「好き」
彼はもう新弥の鼓動で落ち着いていたから、その言葉は愛の告白ではなく、恋人同士の調子だった。
新弥が何も言わないので、聞こえなかったのかと彼は一瞬不安になった。
しかし新弥の鼓動がさらに激しくなったことで、その不安は消えた。
きっと何と言おうか考えているんだ、と思っただけでかわいくて、愛おしかった。
ここでの間もまた、10秒くらいだろうか。
「お、俺もっ…」
やっと返ってきた新弥の言葉は、愛の告白のシーンらしいものだった。
彼は顔を上げて、思いを知ったばかりで恥ずかしくて嬉しい、という大人とは思えない表情をしている新弥を見た。
「好き?」
彼がそう聞くと、新弥は頷いた。
「好き」
言葉を聞いて彼は微笑み、また胸に頬を乗せた。
新弥は右手を彼の肩に添え、左手では頭を撫でる。
その自然な動きも、もう恋人のそれだった。


fin.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ