wars ss

□Chloe
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それは日柄も良い春の長雨の合間に訪れた快晴。
遠くでは戦の喧騒が轟いているのだろうか。

城から出ない俺と小十郎は重綱の安否を心配するばかり。
勝敗なんかは聞かなくともわかっている。
どうせ豊臣が滅びるのだ。
きっと真田も死ぬ、真田の後ろにくっ付いているあの忍も死ぬ。

だから俺は縁側でキセルを吸いながら空だけを見た。
隣に腰を置く小十郎も何も言わなかった。





「右目は潰れていて見込みはないそうです、恐らく左目も…。」

「…そう、か。」



無事に帰ってきた重綱が俺に土産だと寄越したのは、死にかけたあの忍だった。
見つけた時はもう手遅れだと思ったが、手当てをしたら持ち直したらしい。
『私が帰還して政宗様が一番最初に聞くことは、この忍の生死だろうな、と。』
流石小十郎の息子だ、知らなくていい余計なことまで知っている。

国一番の医者に見せた。
命は取り止めた、でも、目だけはどうにもならなかったようだ。



二日前、重綱が帰ったと俺を呼びにきたはずの小十郎が血相を変えて腕を引くので、最初は何事かと驚いて俺も慌てた。
特に怪我もない重綱が笑顔で指差した先に、ぐったりと横たわる見慣れた姿。
全身に切り傷、刺し傷、火傷があったらしく、何処も彼処も包帯だらけだった。
ご丁寧に、端正な顔を隠すように顔までも。

「小十郎、医者だ。」

「すぐに。」

「重綱、何処で見つけた?」

「戦場から少し離れた農村に近い川で。騒がしいと立ち寄ったら、農民に石を投げられていました。」

「………、」

「髪の色がどうとかで、気味悪がられていたようです。」

俺は、この忍の見目なんか気にしてみたことがない。
だからわからない。
俺には右目が無いから、他人を外見で判断するようなことはしない。
五体満足でいることが偉いとは思わない。

初めて、猿飛佐助という忍が異形なのだと知る。
橙色のさらさらとした髪が、不条理に責め立てられるのに十分な理由なのだと知る。

「…話が出来るまで回復したら、染めてやればいい。」

「政宗様は、………本当にお優しい。」

違う。
優しくなんかない、これは俺のエゴだ。



医者が言うには、驚異的な治癒の速さだそうだ。

傍らで一部始終を見ていた小十郎の顔色があまり良くないのは、忍の躯を初めて見たのが悪かったんだろう。
以前からある傷痕に、今回の癒えていない生傷、普通の人間なら吐き気を覚えるかもしれない。

幾度と見てきた俺には、何でもないものだとしても。



「………どうするおつもりですか?」

「殺すには惜しい。」

「しかし、両目が利かないのでは、」

「目が駄目でも、俺の話し相手くらいできるだろ。」

「それは、…なりません。」



襖一枚隔てた向こう側で眠る忍にはもう戻れない忍を哀れんでいるわけではない。
俺には奴が必要だ。
俺の勝手に付き合わせたいだけだ。



「敵国の、忍ですぞ。」

「もう武田もなけりゃ、真田もいない。豊臣も滅んだ。伊達で飼って何が悪い。」



そう、飼えばいい。
戻るところなんて、どうせないのだから。
目が利かない忍の面倒を見る国だってない。
飼って、囲って、俺のことだけを考えるように躾ければいい。
視界が無くとも、慣れれば茶ぐらい淹れられる。

どう駄々をこねても手に入らなかったものが手に入った。
絶対に俺のものにはならないと言っていた方から転がり込んできた。
それが例え多少卑怯だったとしても。





それから十四日間、抜糸の日になるまで忍は眠ったままだった。



「竜の旦那、糸を抜くなら顔からにして。」



医者は足から糸を抜くと言ったあと、俺に腕から糸を抜けと言ってきた。
俺は医者じゃないから無理だと言えば、数が多過ぎて時間がかかってしまうからと頼み倒してきた。
後ろにいた小十郎はもちろん渋ったが、何故か俺は承諾してしまった。



「いいのか、」

「いいとか悪いとかじゃない。」

「包帯の下を見られるのは、怖くないのか。」

「どうせ見えないんだから、竜の旦那がどんな顔したかなんてわからないよ。」



右目は潰れて、左目は血で変色して駄目になったと説明した時、忍は気にも留めないといった風にああそうと言った。
悲しくはないのかと問えば、真田の旦那がいない世界なんて見る価値が無いと言ってのけた。

どうして生かしたの、とも。



右頬の大きな傷を跨る糸を、小さな鋏で短く切っていく。
切られた糸の端をゆっくりと引くと、肉と肉を繋いでいた糸が解けて落ちる。

右目は酷かった。
瞼の上を木の根が這うようにいくつもいくつも傷がついていた。
眼球が無くなって窪んだ目尻に指先が触れると、忍は言う。



「ねぇ、竜の旦那の右目と俺の右目、どっちが醜い?」



そんなの、決まっている。
そんなの、そんなの、聞かなくても、



「俺の右目の方が醜くて、今、竜の旦那は安心しただろ?」



そんなわけ、ない。



「真田の旦那は、どこ?」



鋏の先が震えているのに、この忍はきっと気付いている。

一月と十六日前、装束の裾を掴んだ手が震えていたことも気付いている。
俺が伝えられなかった言葉が何なのかも気付いている。



「小十郎、…真田の引き取り手と墓の場所を調べてきてくれ。」

「政宗様っ、」



「政宗、ありがとう。」



奴はその後一言も喋らずに、ただ黙って俺と医者に糸を抜かれていた。





あの日、行くな、と言えなかった。
今日も否定出来なかった。
おまえは綺麗だと、醜いのは自分なんだと。

もしかしたら、
おまえの一番がいなくなれば、二番の俺が一番になれるかもしれないなんて。
そんな、易い妄想を、
そんなはずないのに。
死んでも一番でいられるアイツを憎いと思う俺は幼稚で穢れている。



それから七日して、忍はふらりと消えた。
翌日戻ってきた時には、もう、左目の眼球もなく、顔の左半分は血まみれだった。

「赤い左目は真田の旦那にあげてきた。」

「…あぁ、」

「これで明暗もわからなくなった。」

「そうか、」

「残ったこの髪は、政宗にあげるよ。」



そう、残り物。
俺に与えられるものは残り物。
おまえも真田が残していったもの。

俺が渇望するものは、決して手に入らない。





その晩、奴の髪を三束切った。
それで筆を三筆拵えた。

もう橙色の髪なんて見たくなくて、忍の髪を墨で黒く染めた。



黒髪で小奇麗な顔をした盲者が伊達に囲われている。
愛様や猫御前より寵愛を受けている。

まさか、と言われるような噂を流したのは、重綱らしい。










「佐助、」



「どうしたの、竜の旦那。」

「懐かしい、夢を見た。」

「…そう、」



俺は老いた。
長く、生き過ぎた。



「手を、」



冷えていく体温や、
小さくなっていく耳を過ぎる血液の音や、
触れているはずの掌の感覚の麻痺や、



「愛してるよ。」



霞んでいく、その声や、



赤茶の両目。
橙色の髪。
眼帯に覆われ瞑した俺の右目に、笑った忍の顔が確かに映った。



END.



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