保管庫


ルリハコベ(謙信×かすが)
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目の前で震えながら頭を垂れている女児を見て千代女は鼻に皺を寄せた。
信玄から頭領に命じられて以来何千何百という娘を見て来たが、こんな髪の子どもは初めて見る。
「……何とも気味の悪い色をした髪よの」
板間に袴の片膝を付き、手にした扇で女児の顎を掬い上げた。
年齢の割に女児は肝が据わっているらしく涙一つ浮べて居ない。
それがある種の傲慢さの様に千代女は感じた。
千代女はただの慈悲深い望月家の後家では無い。
望月家は嘗て信玄に逆らい、遠縁に当たる幸村の祖父の執り成しで武田の傘下に加わった。
失地回復のために甲賀の本家から千代女が嫁ぎ、集めた身寄りの無い娘達を生き餌に仕立てて日ノ本一の情報網を作り上げ、今では信玄から深い信頼を寄せられている。
改めて女児を良く検分してみると髪は金で瞳は琥珀、そして肌が雪の様に白い。
「フン、南蛮混じりか。だが面構えは良し……」
扇から女児の顎を退かして暫し思案していたが、ピシャリと掌に扇を叩き付けた。
「お前は今日から『妙』じゃ。白妙の肌と奇妙な髪、両方掛ければ物好きの一匹や二匹釣れよう」
固く唇を引き結び、瞬きもせず大きな目で女児は千代女を見ている。
(――生意気な)
甲賀五十三家筆頭の出身であり、その上義理とは言え信玄の姪に当る身分の自分を
見据える者は居なかった。
しかしその強靱さが無ければ、この先女児は生き残れないのも確かだ。
「死にたくなければそれなりの働きをしやれ。精々その面を大事にする事よ。
 良いな、妙」
女児が再び頭を下げるより早く、千代女は高価な打掛のつまを勢い良く翻した。

音も無く霧雨が降り頻る中、かすがは少し離れた場所で気配を殺し控えて居た。
一体ここにどれくらいこうしているだろうか。
金の髪はすっかり濡れて張り付き、細い顎から雫が伝って身体は秋雨の冷たさにじわじわ侵蝕されている。
琥珀を思わせるかすがの瞳が瞬くと長い睫毛が水滴を弾いた。
主が山寺の庵を尋ねて写経するのは決して珍しい事では無いが、今日は神経質なまでに人払いされている。
主はこの頃何かにつけて物思いに耽る事が多い。
木の葉が色付く頃は決ってこうだと山城守が言っていたのを思い出した。
(一体、何を考えて居られるのか)
かすがは柳眉を顰める。
すぐ側に居ながら主を思い煩わせるものの正体が掴めず臍を噛んだ。
主を苛ませるものを皆消し去って自分だけを見て欲しい――あまりに子ども染みた狂おしい想いで胸が張り裂けそうになる。
ほんの一瞬で構わないからあの麗しい眼差しを独占出来たらどれ程仕合わせだろう。
だが、かすがの思惑と裏腹に主の視線はズレてしまう。
周囲から見れば気付かないくらいの微妙な角度で主はいつも目を逸していた。
「お前は私のものだ」と言いながらかすがの真ん中を見て居ない。
甲斐の虎ではない別の面影――それも女だと自分の勘は告げている――が主の内側に巣くっている様にかすがは胸を焦がした。
(謙信様…)
もう一度琥珀が瞬きそっと伏せられる。
(どうか、どうかかすがだけを)
柔らかい雨粒が冷えて俯くかすがを静かに包んだ。
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