保管庫


うたかた
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「馬鹿親父!一体何処ほっつき歩いてたんだ!」
城に戻った佐助を迎えたのは十七になったばかりの娘の翠の罵声だった。
長い金の髪を無造作に後ろで束ね、男物の忍装束に身を包んだ娘の顔は女房に瓜二つだ。
心根の優しい所や勝気で男勝りな所まで良く似ていて佐助は苦笑する。
翠は母親に会った事が無い。
難産の末に産まれた直後、児の顔を見て安心した母親はすぐ息を引き取ってしまった。
「ちっとな。そうだ、若僧に会ったぞ。阿梅様達の警護に当るみたいだ」
「隼人が…?」
その名前を呟く娘は年相応の顔を見せる。
調べた所、独眼竜の抱える忍の中でも青年はそれなりの地位にあるらしい。
半年前の冬の戦で彼と娘の間に何かあったらしいが敢えて佐助は深く詮索しなかった。
だが、その後小競合いの度に青年が娘を追い掛けるのを何度か見て居る。
寄るな触るなと苦無を投付けられて退散した遠い日を思い出した。
「若旦那はどうした?まだ残ってるのか」
「『俺は退く訳にいかん』だって。状況分かって無いのかあの馬鹿大助!」
苛立ちを隠さず翠は爪を噛む。
「お前なぁ、もうちっと娘らしくしろよ。若僧に嫌われるぞ」
娘のがさつな言動に半ば呆れつつ佐助は諫めた。
「フン、別に構うものか」
吐き捨てる様な物言いまで女房そのものだ。
「そう言う所まで本当母ちゃんそっくりだねぇ。振り回される若僧も
 気の毒だな」
翠はプイと向うを向いた。
もっと素直さに重点を置いて育てるべきだったと今更ながら後悔する。
「忍にするな」と女房から釘を刺されていたにも拘らず
忍隊の中で育った娘は自ずと忍術を習得してしまったが、流石に佐助も殺生と閨房術だけは厳しく禁じていた。
「頼む。只でさえ母ちゃんの言付け破って忍術教えちまったんだからさ。
 この上がさつな所が直らなかったら父ちゃんあの世で苦無の乱れ打ちだ」
つい懇願する口調になる。
佐助は気付かないが、それは女房を拝み倒した時と全く同じ口調だ。
そんな父親に冷たい一瞥くれただけで再び翠は外方を向いた。
「また女達を城から逃がすって。親父も警備に当たれって幸村様が言ってた」
「そうか。多分これで逃げる者は最後だろうな」
大坂城には二百人以上の娘が養女の名目で囚われていた。
彼女達は皆良家の子女ばかりで十二になると秀吉の閨に上がり妾となる。
その世話をする侍女達や下働きの者まで含めると女の数は相当なものだった。
「お前も行け。こんな負け戦に付き合う義理は無いぞ」
何度も佐助は促すが娘は頑として受け付けない。言外に父娘でと言っている。
佐助にとってそれは出来ない相談だった。
この戦は言わば天下獲りと言う国を挙げての乱痴気騒ぎの終点だ。
今までその祭の輪の中で踊り続けて来た大人が幕引をするべきで、若い世代に背負わせる事は無い。
(やれやれ、本当に困った撥ねっ返りだ。頑固な所は一体誰に似たんだか……)
警備の合間、佐助は懐から取り出した玉簪を見詰めながら考えた。
娘の一度決めたら梃子でも動かない頑固さは父親譲りなのだが、当の本人はてんで気付いていない。
その玉簪はどこにでもありふれた様な品だが、とても大切に佐助は扱う。
石に瑕は無いか暇さえあればしょっちゅう確かめた。
それほど大事な物なのに佐助は何処へでも玉簪を携えていく。
かつてこれを身に着けていた者の姿を重ねているかの様に、片時も離そうとしない。
(なぁ、お前はどう思う?)
朝日に照らされ玉簪の石が光った。
深い翠色を湛えた翡翠の玉を覗き込む佐助の目は、戦場に不釣合いな程穏やかだった。
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