保管庫


うたかた
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闇の中聳え立つそれは巨大な塔を思わせた。
濠を全て埋め立てられ無防備になった城は地の果てまで覆い尽くす大軍に
取り囲まれている。
大気はいつに無く張り詰め、その場に居る者が皆固唾を飲んで夜明けを待っていた。
大軍の中から数機の騎馬が城門の前に進む。
「片倉小十郎御約束通り参上仕った。開門して頂きたい」
細面の優美な若者がそう告げると小十郎だけが門の内へ通された。
「片倉殿、突然の事ですまぬ」
赤備えの武士が小十郎に向かって頭を下げる。年は三十代半ばだろうか。
彼が戦の最中に矢文で娘との婚姻を申込んだのはまだ昨日の事だ。
「どうかお顔を上げて下さい。真田殿の武勇は殿や父から良く伺っております。
それで……」
小十郎は幸村の後ろに所在なげに立つ女子供を見た。
「阿梅」
幸村が呼ぶと年長の娘が顔を上げた。一目で青ざめているのが分かる。
「お前の婿になる片倉重綱殿だ」
怖々と前に進み出た娘は目を伏せたままだ。
「詳しくは後程。とにかく安全な場所まで参ろう」
「はい」
阿梅は小さな声で応えた。
「大助、お前も」
十を過ぎて間もない弟に阿梅は声を掛ける。
「大助は真田家の嫡男です。ここに残ります」
父親に良く似た少年はきっぱりと言った。
「阿梅殿」
小十郎に促され阿梅は身を割かれる思いで兄弟と共に城を後にした。
もう二度と生きて父と弟に会う事は無いのだ。
婚姻と肉親の死を同時に味わう混乱で呆然としたまま阿梅達兄弟は山寺に預けられた。
「戦が終ったら迎えに来る。不自由だが辛抱して欲しい」
短く言い残すと未来の夫は慌しく陣へ戻って行った。
(今日父が死に、弟が死に、戦の世が終るのか)
阿梅は頭の片隅でぼんやりと考えた。
一人の男が駆けて去って行く騎馬達を山寺の屋根の上から眺めていた。
長めの橙色の髪を鉢金で引っ詰めた男は四十に差し掛かった頃で、器用に軸足を使って空中に腰を下ろしている。
(やっぱり若旦那は来なかったか)
主をそのまま小さくした様な少年が一行に居ないのを見て溜め息を吐く。
「やれやれ…」
あの少年をどうやって宥め透かして此所まで連れて来るべきか。
男は暫し黙考する。
その時背後に気配を感じた。
「ちょっとアンタ、此所で何して……ってあれ?」
若い男の声だ。
振り向くと黒い脛巾を着けた青年が居た。
「よう、また会ったな若僧」
独眼竜が直々に組織した忍集団は揃いの黒革の脛巾をしている事から黒脛巾組と呼ばれている。
少数精鋭で人数は最盛期の三つ者に比べれば一割程度でしかないが、殊に諜報や籠絡に於て群を抜いていた。
「真田の忍隊長の親父さんじゃない。何の用だい?」
青年は顔を見るなり親しげに話し掛けた。
「ちっと様子見に来ただけだし、もう帰るわ」
うぅん、と首を回して忍隊長は立ち上がる。
「頃合を見てあの撥ねっ返りを外に出す。頼めるか?」
「任せてくれ。親父さんは?」
青年に親父呼ばわりされても気に留めず忍隊長はヘラっと笑った。
「俺は良いさ。俺達みたいな古い戦忍はここですっぱり滅んだ方が良い。
 ……それに」
一瞬、忍隊長の目がとても穏やかになって青年は驚いた。
「あいつの母親を独りにしとけないからな」
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