*県立湘北高等学校+*

□夏の秘密3
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それから楓は週に二、三日はわたしの家に来るようになった。
夜十一時前後になると当たり前のようにやってきて、お風呂に入ってご飯を食べて、わたしの作ったお弁当を持って登校していく。

いつの間にか定位置になったリビングの隅に置かれた大きめのスポーツバックと何枚かのCD。
洗面所には勝手に持ち込んだお泊まり用の青い歯ブラシ。楓用の食器たちは色違いやお揃いで、これでは同棲しているのと大して変わらなくみえた。

でもその関係性はというと、どの枠にも当てはまらないものだった。友達でも家族でも、まして恋人でもないのだ。
そんなおかしな状況下でも少年は満足している様子で、そして良く眠っていた。

きっとお互い生活の重要な所は何も変わっていないのだろう。
仕事を終えて空が暗くなった頃に鍵を開ければ家の中は静かな世界だ。台所にもリビングにも寝室にも誰もいない。
少年は後からこの世界への入り口の扉を自分で開けて、夜が明ければわたしよりも先に出ていく。

何も話さず同じ空間にいる、自然で静かな沈黙が心地良かった。たった数時間だけの二人だけの秘密。
少しずつ作られていくルールにも、楓は素直に従った。

突然は厭だといったキスは同意を得てから何度もしたが、その先の行為を求めて来ないのが不思議でもあった。追い出されない為に、彼は彼なりに必死なのだろうか。
休日も部活動で日がな一日居ない為、大して変わりはなかった。

そうして過ごして迎えた日曜日、普段よりは少し遅い時間にベッドから抜け出しリビングに行くと、少年の眠っているはずの布団が蛻の空になっていた。
朝練にでも行ったのかと思い、コーヒーを淹れソファーに腰を下ろして朝のニュースを見ていると背後で玄関が開く音がした。
イヤホンから洋楽をこぼしながら、それでも振る舞いは静かに廊下を歩いてきてわたしを見付けると、うす、と簡単に挨拶をした後勝手にシャワーを浴びて元居た場所、もう温もりも消えた布団に潜り込んだ。

自主練、というのだろうか、またあの空き地に行って来たのだろう。玄関を覗けば脱ぎっぱなしのバスケットのシューズとボールが置いてあった。
ピンヒールのパンプスやサンダルの横に明らか男物のサイズの大きな靴。しかも見るからに若い男が履く靴だ。
それが何だか酷く滑稽で。同棲と思えば厭らしいが、姉弟だといえばそんなもの微塵も感じられない。

その傍らに渡しておいた合い鍵が落ちていた。それを拾ってカウンターの上に置く。
折角特別扱いして渡したのに粗末に扱われて、少し苛とした。

部屋の隅に敷かれた、自分専用の場所で横たわる少年を覗き込むと、その性格同様に僅かに寝息を立てていた。
綺麗な顔だとは思っていたけれど、実際整っているのだけど、まじまじと見ると本当に美しい。それでもまだ少年のあどけなさの残る寝顔。

(モテるんだろうなあ…)

こんな自分とは接点のなさそうな美しい子供が同じ空間に居て、自分の事を好きだと言うのだ。
これだけの器量持ちなら、わたしなんかが到底太刀打ち出来ないような美人も可愛い子も選び放題だろうに。こんなパッとしないわたしなんかを選んで。全く意味が分からない。
それでも、この寝顔を、この瞬間だけは独り占めできているのだ思うと感じる優越を抑える事は出来ないのだった。

(こんな風に思われて…可哀想…)

伸ばした指に一定の間隔で息が触れる。
楓は目も髪も性格も態度もスッとしていてとても冷たく感じるのに体温は暖かくて、むしろ熱いくらいだ。
バスケットに夢中な時と、…そういう時にはびっくりするくらいに強く激しく熱い。

「髪、濡れたままじゃない…」

艶のある髪を指先だけでそっと梳いてみるが目覚める気配はなかった。
滑らかで細いそれが指にとても気持ち良い。鼻を掠めるシャンプーの香りはわたしと同じで、何故かドキドキした。
こんな子供に胸が高鳴るなんて、本当におかしい。

わたしは楓が好きなんだと思う。
でもこの好きが少年の好きと同じ種類のものなのか分からないのだ。ライクなのかラブなのか。それともまた別の、お気に入りなだけなのかも知れない。
本人に言ったら酷く不機嫌になりそうだが、捨て猫を拾ったみたいなそんななのかも知れない。

暫く髪を梳いた後、立ち上がって静かに楓の傍を離れた。
また明日から仕事が始まれば忙しく、買い物もろくに出来なくなる。足りなくなりそうな生活用品を買いに行かなくては、二人分になったのだから消耗も激しい。
のんびりと身支度を整え昼の用意を終えた後、留守番を頼もうと少年の元に戻り同じように顔を覗き込んだ。

「流川君、わたし出掛けるけど」

声を掛けるが全く起きる気配がない。

「流川君」

身体を横にしている彼の肩を揺するとうっすらと瞼を開けた。
長い睫の隙間から覗く綺麗な黒い眸。

「流…「俺の眠りを妨げる奴はなんぴとたりとも許さん…」

目覚めを確認してホッとしたのも束の間、ムクリと上半身を起こし、そう呟いた楓は、突然わたしの上に覆い被さってきたのだった。
そのままの勢いで押し倒され、耳の下辺りに少年の生暖かい息が感じられた。
脚と脚の間に収まる楓の腰。少し長めの前髪が頬をなぞる。背中に廻された腕できつく抱き締められて肋骨が軋んだ。

「流川っ…君…!」

戸惑いながら声を上げ、彼の肩上から伸ばした手で背中のシャツを引っ張ったが相変わらずどうにも出来ない。

「楓でいい」

声変わりを終えた、それに加えて寝起き特有の掠れた低い声が名前で呼んでくれと催促する。

「ん、痛…」

耳朶に唇を押し当て、背中に回された腕に更に力を込められると苦しさが増す。無言で言うことをきけと主張しているのだった。
背中に回した手で少年の広いそれを撫でると、彼は満足したのか腕を少しずつ緩めて、唇とも頬とも言えない曖昧な部分に優しく自身の唇を滑らせた。

楓はそうされるのを気に入っている。
何度か抱き締められて、初めの内は知らず知らずにしていた行為だったが、背中を撫でると彼はわたしを優しく抱く。まるで子供をあやすように。
そして少年は満たされて、わたしもまた満たされているのだった。

「わたし出掛けたいんだけど…」
「…俺も行く」

内緒話みたいに、耳の中に言葉を吐いて、直ぐにまた一定の間隔で繰り返される呼吸。
一緒に行くから、付き合うから、今はこうしていてくれとでもいうように、彼はわたしを離そうとはしなかった。
体格差があるのだ、多少というかだいぶ重かったが、少年の重みと温もりを感じながら毎日暮らしていても余り見たりはしない天井をぼうっと見ていた。





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