男性作家

□井上靖
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おろしや国酔夢譚

1974
文藝春秋

 天明2(1782)年12月13日、千石船・神昌丸が伊勢白子から江戸に向けて出航した。船には紀州藩の廻米500石の他、江戸の商店へ送る木綿や薬種、紙などが載せられていた。船頭は大黒屋光太夫。その他16人の乗組員がいた。船は西風を受けて順調に進んだが、駿河沖にで暴風雨に巻き込まれ、舵は折られ、沈没こそ免れたが操舵する術を失う。漂流する神昌丸。7月、一人の水夫が死亡した。その数日後、陸が見えた。出航から8ヶ月ぶりの陸地だった。
 そこはアラスカのアリューシャン列島にあるアムチトカ島で、当時はロシア人が支配していた。ロシア人は原住民に指図してラッコやアザラシなどの海獣を捕獲し、その毛皮を本国へ輸送していたのである。毛皮は上流階級の人々に好まれた他、中国などへの主要な輸出品でもあった。
 ロシア人らの首領の名はニビジモフ。光太夫らはニビジモフらからロシア語を学び、この寒冷な地での生きる術を学ぶ。漂着から3年。その間に神昌丸の乗組員は7人が死亡した。そしてロシア船がやってきた。この船の乗組員が交代でこの島に滞在し、ニビジモフらは帰国するのである。だがその船が激しい風を受けて座礁沈没してしまった。ニビジモフと光太夫は相談の上で古材などを利用して造船し、カムチャツカ半島への渡航に取り組む。

 江戸時代後半、ロシア領だったアリューシャン列島の漂着し、ロシア皇帝エカチェリーナ2世に謁見するなどし、ラックスマンの訪日団とともに根室に帰国するまでの、大黒屋光太夫の9年の数奇な人生を描いた作品。この時代を理解するための情報も多く、読み応えのある作品である。光太夫は帰国後、海外情勢が一般に知られることを好まなかった幕府によって軟禁状態にされていたとの説が一般的であり、この小説でもそのような結末となっているが、実際には伊勢に里帰りしたり、親族が江戸に会いにくるなど、かなり自由な生活であったことがその後わかっている。
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