ギフト

□THE CATS
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「預かっていただく試作はだいたいの日常言語は習得済みです。行動についても、最低限度は身についています。なにかありましたらこちらまで」
 差し出された紙にはいくつかの数字がわざわざ印刷されていた。それは染みのようでもあり、暗い穴のようでもあった。まるで、骸骨の眼窩のように暗く深い穴。
「ミスター・テイラー」
 ワイズがひざに手をついてライアンを覗き込んでいた。老いて乾いた肌を貼り付けた頬が、無理やりに引き攣れる。
 骸骨の笑みだ。
「これはビジネスですよ。違いますか?」
「……いいえ。あなたの言うとおりだ」
 ライアンはもう一度拳を握りなおして顔を上げた。その目にほの暗い怒りを湛えてワイズを見返す。
 それを確認するように、ワイズは一二度頷き身を引いた。その横でミズノがまた一枚の書類を出してテーブルの上を滑らせた。
 契約書だった。
「とっくにうちのトップと交わしているものだと思っていましたよ」
「まぁ、一応というやつでしてな。それに、今回のこれはあくまであなた個人と結ぶ契約ですので」
 契約書の一番上には他言無用の旨が強調されて書かれていた。
「……一つ、お聞きしたい」
 ミズノが無言で万年筆を差し出していた。それを無視してライアンは契約書を軽く指で弾いた。足を組替えてどこかニヒルな笑みを浮かべる。
「なぜ、私なのです?」
「条件に合うからです」
 語尾に噛み付くような台詞だった。ミズノは明らかに焦っていた。ライアンはミズノに向き直り、身を乗り出した。
「ほう、その条件とはもしや、あなた方にはめられた経験がある、というものでは?」
「ミスター・テイラー、これは、ビジネスなのですよ」
「…そうでした」
 あっという間に俯いてしまったミズノに変わって、ワイズがため息のような声を出し。ライアンは内心舌打ちして契約書に向き直った。契約書の末にある署名の欄。そのすぐ上に、「ノア」の指示に黙って従うことへの同意が書かれていた。
 それは五年前と同じ文だった。
 ライアンは心中で妻の名を呼んだ。愚かしいと思うかい? と問いながら。
 CATS≠ニ称される人口蘇生体。忌まわしいこの実験に妻と娘を貪れてより五年、なんどこの文を目にしただろう。それでもライアンは、どこかで妻や娘が帰ってくるという夢を捨てきれずにいるのだった。
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