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□ 深い深い森の奥の 獣と狩人
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深い深い森。暗いくらいそこで、一人の人が立ちつくしていた。
彼は人間であり男性であり、そしてハンターだった。
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「ふぅ……」
溜息を吐き、狩人は足元を見る。
そこら中に血が広がっていて、その中心には獣の死骸があった。
それは元は人間であり、けれど今はただの『人喰い』だった。
それを眺め、手にしていたライフルを捨てた狩人は、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
そして、もう動かない獣へと囁く。
「ねぇ、ロウグ。君は覚えていたのかな? 君が最初に食べたのが、誰だったのか」
だから僕を食べなかったのかと、幾人もの狩人を喰い殺してきた獣に囁き、その身体に触れる。
ひんやりと死骸の体温が狩人へ伝わった。
「きっと、そうなんだろうね」
狩人は呟く。
「君は覚えていたんだ。僕の父さんを、喰い殺したってことを」
贖うために死んだのだろうかと、獣を見下ろし問いかける。
けれど、死んだ生物は答えを返さない。
「可哀想なロウグ。可哀想。可哀想。可哀想………」
切なげに、本当に悲しそうに、狩人は呟く。
その手が、獣の頬を撫でた。
べたりとした血が、その指先に付着する。
けれど、彼に気に留めた様子はない。
「…………ごめんね、ロウグ」
不意に、狩人は獣に謝った。
「泣いてあげられないみたいだ」
狩人は自分の目元に触れた。
ぺたり、と触ったその先は、血以外の何物でも濡れていない。
「ねぇ……知っていたかい、ロウグ。僕は、君を恨んだりしていないよ?」
本当だよ、と狩人は父親の仇を見つめた。
ほんの一瞬人に戻ったかのように、獣は左目だけで泣いていた。
「アレは父さんの自業自得だった」
狩人は、しゃがんだまま、一度捨てたライフルを拾う。
ライフルを持ったのとは別の手が懐を探り、小さなナイフを取り出した。
刃物が、銃身へ傷を付けていく。
「君には、父さんを殺す権利があった」
やがて、傷を彫られたライフルが、血を吸った土に突き立てられた。
「分かってる。分かってた。だから、恨んだりしてないんだ」
ざくりざくり、と土が掘られる。
血を吸った土は軟らかく、簡単にえぐれた。
「けれど、君を殺したかった」
やがて、穴が出来上がる。
深さはそれ程でもなく、ただ広かった。
「憎しみじゃない。君は死にたがっていたから」
狩人は立ち上がり、獣の死骸を、たった今掘り終えた穴へと蹴り落とした。
「君を殺す資格があるのは、きっと僕だけだろう?」
ごろん、と転がって穴へ落ちた、もう意識の戻らない肉の塊へ、今度は土をかけ始めた。
「そうだろう、ロウグ?」
ゆっくりゆっくりと、獣の姿は隠れていく。
「君を獣にしてしまったあの人は君が殺したから、君と同じようにされて殺すべき相手を殺された僕にしか、きっと君は殺せなかった」
やがて獣の姿はすっかり隠れ、そして小さな土山になった。
最後の仕上げとして、狩人はライフルをその山に突き刺す。
「さようなら、父さんの作ったお人形」
呟いて、彼はそこを後にした。
そこに残ったのは、文字を刻まれたライフルと土山と、元は人だった獣の骸が一つだけだった。
END