その他の小説

□のうぜんかずらの夢
1ページ/6ページ

「たった一人とだけ、人と話をさせてあげる」


 可愛らしい声で言って、幼い少年は彼女を見下ろしながら囁く。


「さ、早くお行きよ。一晩だけだよ?」


 穏やかな声に言われて、彼女は頷いた。




 約束が守れなかったと、

 広がっていく暗闇の中で悔いたことを思い出しながら。





***





 ぱちり、と私は目を開けた。

 目の前にあるのは、見覚えのある天井。

 私は、おじいちゃんとおじさんの仏壇のある和室で寝ていた。

 畳を敷いた少し古い匂いのする部屋は、まだ暗い。

 壁に掛かった時計も読めない程だ。

 さて……夜が明ける前に、行かなくては。

 むくりと起き上がって、硬くなった背中を伸ばして解す。

 それから立ち上がり、顔に寝跡が無い事を触って確認してから、歩き出した。

 襖を開けて、すぐ側にある台所へ入る。

 そこは、和室とは違って明るくて、その光に目が痛くなって細めた。

 電灯を点けっぱなしのそこで、テーブルに伏せた格好のまま、お母さんが眠っていた。

 伏せた顔に髪が掛かっていて、その顔は良く見えない。

 すぐ傍に小さな写真立てが置かれていて、その中に笑顔で人が映っていた。

 見覚えのあるその顔を、ぱたりと写真立てを倒して隠す。

 その隣りに私の携帯があったので、そっと音を立てずにそれを取った。

 ぱかりと開いて、電池があるのを確認する。

 ついでのように目に入った時刻は、もう真夜中を過ぎていた。


「……な……」


 小さな声が、お母さんの口から漏れた。

 それはあまりに突然で、私は驚いて携帯を閉じた。

 起きているのかと慌てて目を向ける。

 お母さんは身動きをしていない。ただ、電灯の光を弾く何かが、髪の奥で伝い落ちていくのが見えた。


「……あきな……」


 小さな小さな、その寝言は私の名前だ。

 切なくなって、眉を寄せる。

 抱きつきたくなったけれど、そんなことをしたら起こしてしまうので我慢した。

 代わりに、寝言に負けないくらい小さく、囁く。


「……ごめんね、お母さん」


 そして、携帯を握ったまま台所を出た。

 もうきっと、二度と会えないだろうと思った。









 玄関を潜り、外へ出た。

 見上げた空は雲もなく、ただ月が辺りを照らしている。

 死んだように静かな夜の空気を、私は思いきり吸い込んだ。

 ひんやりとしていて、肺が痛いほどだ。

 門をそっと開き、抜けて、音を立てないようにそうっと閉めながら、携帯を開く。

 待ち受けは、私の好きな魚眼レンズ撮影の子犬の写真。

 丸くて大きな目が可愛くて、眺めるとうっかり笑ってしまう。

 怪しいと自覚はしつつ、それでもやっぱり笑いながら、私は携帯をいじった。

 電話帳を開き、グループからたった一人、検索したアドレスでメールを打つ。


『会いたいな。今からそっちの家に向かうけど、出てこられる?』


 普通は恋人にでも使うだろう台詞を、送るのは小学校来の友だちへだ。

 送信して、歩き出す。

 そうして、携帯を閉じ、ポケットに入れたのと同時に着信音が鳴った。

 それは先程メールを送った相手のアドレスにのみ設定してある曲で、その対応の早さに驚きながら慌てて携帯を開く。

 着信したメールは、タイトルもいじらずにただ一言。


『誰?』


 くすりと、私は笑った。

 メールを打ち返し、送信しながら走り出す。

 そろそろ届いただろうか。


『かずらだよ』


.
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ