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□のうぜんかずらの夢
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「たった一人とだけ、人と話をさせてあげる」
可愛らしい声で言って、幼い少年は彼女を見下ろしながら囁く。
「さ、早くお行きよ。一晩だけだよ?」
穏やかな声に言われて、彼女は頷いた。
約束が守れなかったと、
広がっていく暗闇の中で悔いたことを思い出しながら。
***
ぱちり、と私は目を開けた。
目の前にあるのは、見覚えのある天井。
私は、おじいちゃんとおじさんの仏壇のある和室で寝ていた。
畳を敷いた少し古い匂いのする部屋は、まだ暗い。
壁に掛かった時計も読めない程だ。
さて……夜が明ける前に、行かなくては。
むくりと起き上がって、硬くなった背中を伸ばして解す。
それから立ち上がり、顔に寝跡が無い事を触って確認してから、歩き出した。
襖を開けて、すぐ側にある台所へ入る。
そこは、和室とは違って明るくて、その光に目が痛くなって細めた。
電灯を点けっぱなしのそこで、テーブルに伏せた格好のまま、お母さんが眠っていた。
伏せた顔に髪が掛かっていて、その顔は良く見えない。
すぐ傍に小さな写真立てが置かれていて、その中に笑顔で人が映っていた。
見覚えのあるその顔を、ぱたりと写真立てを倒して隠す。
その隣りに私の携帯があったので、そっと音を立てずにそれを取った。
ぱかりと開いて、電池があるのを確認する。
ついでのように目に入った時刻は、もう真夜中を過ぎていた。
「……な……」
小さな声が、お母さんの口から漏れた。
それはあまりに突然で、私は驚いて携帯を閉じた。
起きているのかと慌てて目を向ける。
お母さんは身動きをしていない。ただ、電灯の光を弾く何かが、髪の奥で伝い落ちていくのが見えた。
「……あきな……」
小さな小さな、その寝言は私の名前だ。
切なくなって、眉を寄せる。
抱きつきたくなったけれど、そんなことをしたら起こしてしまうので我慢した。
代わりに、寝言に負けないくらい小さく、囁く。
「……ごめんね、お母さん」
そして、携帯を握ったまま台所を出た。
もうきっと、二度と会えないだろうと思った。
玄関を潜り、外へ出た。
見上げた空は雲もなく、ただ月が辺りを照らしている。
死んだように静かな夜の空気を、私は思いきり吸い込んだ。
ひんやりとしていて、肺が痛いほどだ。
門をそっと開き、抜けて、音を立てないようにそうっと閉めながら、携帯を開く。
待ち受けは、私の好きな魚眼レンズ撮影の子犬の写真。
丸くて大きな目が可愛くて、眺めるとうっかり笑ってしまう。
怪しいと自覚はしつつ、それでもやっぱり笑いながら、私は携帯をいじった。
電話帳を開き、グループからたった一人、検索したアドレスでメールを打つ。
『会いたいな。今からそっちの家に向かうけど、出てこられる?』
普通は恋人にでも使うだろう台詞を、送るのは小学校来の友だちへだ。
送信して、歩き出す。
そうして、携帯を閉じ、ポケットに入れたのと同時に着信音が鳴った。
それは先程メールを送った相手のアドレスにのみ設定してある曲で、その対応の早さに驚きながら慌てて携帯を開く。
着信したメールは、タイトルもいじらずにただ一言。
『誰?』
くすりと、私は笑った。
メールを打ち返し、送信しながら走り出す。
そろそろ届いただろうか。
『かずらだよ』
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