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□ 深い深い森の奥の 獣と狩人
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深い深い森。暗い暗いその奥に、人のような獣が居た。
それは男であり雄であり、そして『人喰い』だった。
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「こんにちは」
誰かが彼に声をかけた。
彼は食事中で、その口には幼児の腕が咥えられていた。
肩から先は、無い。
「何?」
短く、彼はその誰かに尋ねた。
「何だと思う?」
その誰かは、彼へと聞き返す。
「ハンター」
彼は答えた。
「俺を殺してくれる人殺し」
その通り、と呟く狩人の前で、彼は今の今まで食べていた物を放り、口元を拭った。
そして何度か跳ねた髪を撫で付け、ぱたぱたと服を叩く。
「何をしてるのかな」
「死ぬ、身支度」
やがてそれを終えて、彼は狩人に向き直った。
「もう人じゃないし誰が見て泣いてくれるわけでも無いけど、最期くらいは人みたいに綺麗な方が良い」
そう言った彼の髪には、彼の物ではない血が付いて固まっていた。
顔にも、もう擦っても落ちないだろう程の返り血が付いている。
「そうかもね」
笑んで答えて、狩人は手に持っていたライフルの先を、彼へ向けた。
「命乞いはするかい? もっとも、『人喰い』に減罪は認められないけれど」
いいや、と彼は笑い、首を振った。
「乞うわけがない。俺は獣だから」
「そうかい?」
「そう。……初めの頃なら、別だったかも知れないけど」
彼は呟き、そして千切れた左耳に触れた。
傷はもう塞がっていて、ただ痛々しく千切れた残りがそこにあるだけだった。
「初めの頃は、人を喰うのが嫌で。けど、腹が減ると人を殺すしかなくて。そんな自分が、嫌で嫌で、堪らなかった」
そこで、彼は己の手を見る。
その手は爪が長く、毛が覆っていて、とても人の手には見えなかった。
「でも、もう何も感じない」
彼は呟く。
「そう」
狩人は頷いて、引き金に指をかけた。
「お祈りはする?」
「獣にはそんなの要らない」
「墓石に記す名前はどうしたい?」
「獣にはそんなの要らない」
彼の言葉に、ふうん、と狩人は呟き、スコープも覗かずに彼へ照準を合わせた。
そうして、更に尋ねる。
「昔は?」
狩人の言葉に、彼は肩を揺らした。
「昔の名前は?」
狩人の見つめる先で、無表情の彼が、一度瞬きをした。
そして、左の瞳から、一筋だけ血がこぼれ落ちる。
まるで涙のようだった。
「昔は…………ロウグと、呼ばれていた」
「そう」
狩人は微笑んだ。
「良い名前だね。それを、刻もう」
そうして銃声が響く。
暫くした後、森の奥に、血の涙を流した獣の死骸が転がっていた。
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