精霊シリーズ
□無欲拒奪
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いらない。
何にも、いらない。
だから。
だから、お願いだから。
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俺の朝は、いつだって最悪だ。
「次代様、お目覚め下さい」
ここは、精霊の住む世界、レニア。
広大な大地の上では小さいが、こうして住んでいれば充分に大きなこの屋敷は、<炎王>と呼ばれる炎の精霊、カルライの住処だ。
その息子である俺は、毎朝、使い女の声で起こされて、着替えを支度され、食事を食べさせられている。
別に、人の世話になるのが嫌な訳では無い。
今更だからだ。
ただ。
「次代様、本日はどの様にお過ごしになられますか?」
使い女が、きらきらした目で俺を見ている。
俺は、パンもベーコンも卵もスープも全部端へ寄せて、サラダボウル一杯のレタスとトマトを機械的に口に運びながら、少し考えるふりをしてテーブルを見た。
俺の親父に気に入られ、屋敷の家事を任せられた『使い女』の、義務感と的外れな愛情の塊たちがそこに居る。
「……今日は、別宅の方に行ってから、少し外に出る。日暮れには戻るから」
最後に微笑んで、そして空になったボウルとフォークを置いて立ち上がる。
「もう終わりですか?」
少しだけ哀しそうな顔をする彼女に、お腹が空いていないんだ、と呟いて謝罪する。
「あの……次代様、ご昼食は?」
「適当に済ませるよ」
告げて、歩き出そうとしてから足を止めた。そして振り返る。
「そうそう。昨日のシチュー、美味しかったって、父様が言ってたよ?」
良かったね、と。
顔を真っ赤にした使い女にそう言って、歩きを再開した。
あのテーブルに広がる料理を口に入れるべきは、俺では無いのだ。
食事を広げた部屋を出て、左右と正面に伸びた廊下の内、正面の廊下を進む。
両側には窓が幾つも付いていて、その外には広い庭が広がっていた。
この廊下をずっと真っ直ぐ進んで、途中で左に降りて更に少し行けば別宅があるのだけれど、何だか面倒になって窓から庭へ出た。
庭を真っ直ぐに突っ切って、辿り着いたのは背の高い垣根だ。
この向こうには、別宅がある。
あそこには、俺の弟が住んでいる。
そして、あいつの母親も。
俺の母ではないその人は、黒い髪で白い肌をした、綺麗な人だった。
母さんと一緒に親父に嫁いだ、女の人だった。
俺の親父は無駄に優しくて、とくに女の人に優しくて、それに捕まった二人が、俺と弟の母親だった。
ふざけた事に同じ日に生まれた俺とあいつは、二人して、昔の親父と同じ顔をしている。
でも、俺は親父と同じ炎の精霊で、弟は、母親と同じ氷の力を宿していた。
母さんは大喜びで、あいつの母親は嘆いた。
二人の女性に子供を産ませたという事で、親父は周囲に色々進言されたらしい。
それでも、親父には一人を選びきれなくて。
親父の屋敷を二つに区切り、本宅と別宅に分けて。
俺達は、月に一度、住む場所を交換する生活をしている。
今月は、母さんの番だ。
今頃は、本宅の奥で、親父と二人きりで過ごして居るんだろう。
親父が居る時、母さんは俺に会いたがらないから、その様子をあまり見たことはないけれど。
俺は、垣根を仰いだ。
親父は、別宅の様子を知っているのだろうか。
あそこにいる、息子の一人がどうなっているか、知っているのだろうか。
それとも。
「……興味が無い?」
ぽつん、と一人で呟く。
それから首を振って、垣根に手を突っ込んだ。枝を掴んで、軽く引く。
以前切り取ってしまったその箇所は、簡単に外れて穴を作った。即席の出入り口だ。
そっと潜って、すぐに塞ぐ。
俺が侵入したのは、別宅の裏手にある庭だった。
手入れされる程に草花も無い、殺風景なそこに面した建物の壁を見上げた。その建物は白くて高くて、大きい。
殆ど閉まっている窓の内、開いているたった一つを見つけて、落ちていた小石を拾い上げてそこに投げ込んだ。
少し経つと、そこから縄梯子が降ろされる。
それを登って、俺は中へと侵入した。
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何もいらないから。
どうか。