精霊シリーズ

□拒位逃亡
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 俺はあまりにも愚かで


 自分の馬鹿さには吐き気がするほどだ





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 俺達の生きる世界は真っ暗だ。

 希望も無いし太陽も無い。

 ここは、深い深い闇の世界、ルーズ・キャール。

 創主様が創った、『負』と呼ばれる悪い心の落ちてくる淀んだ世界。

 ここと正反対の所にはレニア・シャームという名前の世界があって、そこにはたくさんの種類の精霊が居るらしい。

 この世界に居るのは、属性に闇を持つ一族だけ。

 俺達、闇の精霊だけ。

 誰も行ったことがないから、レニア・シャームを見た人と話すことは出来ない。

 けれど、レニア・シャームの<王>様達からの連絡が定期的にやってくるから、俺達はその世界が確かにあるのだと知っていた。

 近くて、けれど遠い世界。

 闇の精霊の誰もが、行くことの出来ない世界。

 まるで絵本に出てきた天国のようだと、俺はいつも思っていた。


「ダール、いる?」


 俺を呼ぶ声が聞こえて、俺は床から立ち上がり、手にしていた本を本棚へ戻した。

 大きな本は俺の手から余るほどで、片付けるのは難しい。

 どうにか本棚へしまい終えた、それと同じくらいで扉が開いて、そこから俺を呼んだその人が顔を出す。


「ああ、やっぱりここにいた」


 そう言ってにっこりと笑うのは、俺が鏡で見るのと同じ顔をした、俺のたった一人の兄弟。

 殆ど同時に生まれた、体も命も分け合った兄上。

 顔も背丈も声すらも似通った俺達が、唯一違うのは瞳くらいだ。

 俺の右目は金色、左が赤くて、兄上はその逆になっている。

 兄上は、瞳以外が俺と同じ作りの顔を、俺では出来ないくらいに優しく微笑ませて、それからこちらへと近付いてきた。


「何を読んでいたの?」


 そう言って、金と赤の双眸が本棚を見上げる。

 さっき慌てて押し込んだ本の背表紙で、その視線が止まった。

 慌てて片付けたので、一つだけ列を乱している本があったのだ。


「古びた世界の話?」


「うん」


 俺は頷いて、さっき片付けたその本をもう一度引き出した。

 父上の書庫であるこの部屋には、数多の本がある。ここに入って読書をするのは俺と兄上くらいで、ろくに換気もされていない部屋は少しかびくさい。

 同じようにかびくさいその本を、さっきと同じように床へと置いて広げた。広げたまま持っているには、本は大きすぎたし俺の手は小さすぎた。

 床に直接座り込み本を広げる俺の隣へ、兄上も座る。


「えっと……『創主が初めて創り上げた世界』」


 俺が開いたそのページを、兄上が読み上げた。


「『多数ある世界の内、最も空白に近いとされ、その内部も作りも何もかもが明らかにされていない世界がある。それは全ての世界を集めた内の最上位であり、そしてそれこそが始まりの世界である。一説によれば、すでにその世界は滅びているとも言われている』……ダール、どうしてこれを調べているの?」


 読み上げを止めて、兄上がこちらを向いた。

 俺は、少し首を傾げて兄上を見つめる。


「手に取ったらこの本だっただけだよ」


 口が勝手にそう答えた。

 本当は、違う。

 どうしても確かめたくなっただけだ。

 兄上は、そうなの? と納得したようなしていないような顔をして、それから本を俺から奪った。

 閉じて、俺と同じ大きさの手が軽々と本を棚へ片付ける。兄上は、俺とほとんど同時に生まれたのに、俺より力が強い。体力もある。


「母上が、夕ご飯出来るからって呼んでたよ。一緒に行こう?」


 丁寧に本を仕舞い終えて、兄上が俺を振り返った。

 俺は頷き、それを見た兄上が先に歩き出す。

 同じ姿の兄上が扉へ向かうのを見ながら、俺も歩き始めた。

 先に廊下へ出た兄上を追って、扉を通り抜けてから、ふと後ろを振り返る。


「兄上、父上はもう呼んだの?」


 廊下をずっと進んだ先に、ぽつんとある黒い扉を見ながらそう尋ねた。

 中から、父上が居るらしい気配がする。

 兄上が足を止めて、それからこちらを振り返る。


「呼んだんだけど、返事がなかったんだ。うめき声も聞こえたから……多分、『お仕事』中だと思う」


 俺が目を向けると、兄上は心配そうな顔をしていた。


「近付いたら駄目だよ、ダール?」


「うん……」


 頷いて、俺はもう一度だけちらりと扉を見やる。

 そこは、父上が自室としている小さな部屋の、入り口。

 俺達の父上は、ルーズ・キャールの<王>だ。

 ルーズ・キャールの存在理由は、他の世界から流れ込んでくる『負』と呼ばれる罪深い全てを、受け入れるための場所。

 けれど、そんなもの溜め込んでいたら、いずれ世界は滅びて終わる。

 ルーズ・キャールを滅ぼさないために選ばれるのが、<王>だ。

 <王>となった精霊は、ルーズ・キャールに注がれる『負』を、定期的にその心へ与えられる。

 そして、ただひたすらにそれに耐える。

 父上の気配があそこにあるということは、父上は今、その『お仕事』中だということだ。

 一度だけ、父上が『お仕事』をしている所を見たことがあるから、俺は眉を寄せた。

 何かに向かって汚い呪いの言葉を吐いて、自分の体を掻きむしる父上。

 絶叫しながら、ただひたすら体を丸くして、見えない暴力に耐えるように硬直している父上。


『いいか、ダール、絶対に近寄るな。近寄ったら、俺は、お前を……殺してしまう、から』


 泣きながら、苦しそうに父上はそううめいていた。

 酷かった。

 可哀想で仕方なかった。

 どうして父上があんな目に遭うのだろうと、理不尽な理に怒りすら覚えた。

 <王>となれるのは、前の<王>が死んだり、代を譲ろうとした時に、<王>よりも強い精霊だけ。

 だから、普通はルーズ・キャールで一番強い者が<王>となる。

 俺達の父上が<王>になったのは、俺達が生まれるよりも前のことだ。

 それから、ずっと、父上は『お仕事』を続けているのだ。


「……行こう、ダール」


 兄上が、そっと俺を促した。

 うん、と応えて、俺は視線を前へ戻す。

 肩を並べた俺へ、兄上が言った。


「後で、薬箱を持っていこうね」


 それは、自傷行為を繰り返しているだろう父上への配慮だ。

 俺は頷いた。


「うん」





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