指先

□野原を駆ける獣も、
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欠乏とは最も衰えない感情なのだそうだ。

時間は夕暮れ、しかしどんよりと雲った空は西日を遮りまるで宵闇のような薄暗さを作り出している。崩れ落ちた内壁の隙間から夏の夜の生暖かい風がひゅうひゅうと滑り込み、その音がまるで女のすすり泣く声のようだと思った。

「全部だ」

薄暗い廃墟に男の声が反響する。一際高い瓦礫の上から蜘蛛の脚たちを見下ろす彼の声はいつもながらよく響く。地を這うような低い声でもないくせに、どこかビリビリと空気を震わせてその場の緊張感を高める。数年ぶりにすべてのメンバーがそろったその場で男は言い放った。

「地下競売のお宝、丸ごとかっさらう」

男の言葉は感情をのせることもなくただ生温い風に伝わって消えた。

*

いつものようにアジトで留守番をしていた。下調べに繰り出したメンバーを除いた、どちらかというと戦闘向きなメンバーがアジト居残り組のようだ。出かけた者もいるし、今私の隣に腰掛けている彼のようにアジトにとどまっている者もいる。
いつものように瓦礫に座って、自分の太ももに肘をついて頬杖をつく。自分の掌で包んだ両頬の感触を確かめるようにふにふにと動かしつつ彼に話しかけた。

「今回の仕事は随分と派手」
「なに、いつもとかわんねえさ」

そうかなあ、と呟いた私の腑に落ちない声は小さかった。が、常人以上の聴力を持つ彼にはしっかりと届いていたようで、がしがしと無造作に頭を撫でられた。痛い。彼の手をはたき落とすために伸ばした私の右手は、絡まり合った髪の毛が目元を覆い隠したために視界が利かなくなって空を切った。おかげで今朝頑張って直したはずの癖っ毛がもとの勢いを取り戻して頭の天辺で元気よく跳ねあがっていることだろう。

「なにか欲しいものがあるの?」
「ねえよ、俺ァただ暴れられればそれでいい」

今回狙うオークションには世界中から物品が集められるのだそうだ。珍しい物も綺麗な物も危険な物も、世界中のありとあらゆる珍品が競売にかけられる。

「きれいなもの、ほしくないの」

団長は欲しがっている、綺麗なもの。外観、用途、歴史的価値、論理、物によって違う美しさを見せる綺麗なものを彼は欲しがっている。しかしこの人は違うという。

「そりゃあ、お宝は欲しいぜ。売れば金になるしなァ」
「お金は綺麗なものなの」
「どっちかっつうと汚い分類じゃねえのか。まあ、綺麗でも汚くても価値は変わんねえがな」

金は人間の欲の権現だと誰かが言っていたのを思い出した。

「ノブナガは、なにがほしいの」
「戦場さ」

闘っても闘ってもまだ足りない。強い相手とやり合えば、さらに強い者を求める。勝てばその先を求め、負ければ死だ。滾る焦燥、天秤にかけられるのは自らの心臓、常に刃を喉元に付き立てられる危機感。戦場に満ちるのは誰の血の甘い香か。

「どうすれば満足するの?」
「俺の世界が満たされることはねえ。誰だってそうだろう?いつだって足りない、満足したって一時的なもんだ、すぐに足りなくなる。だから求めるのさ」

欠乏の底についてしまわぬように、穴のあいた水差しに水を継ぎ足すように、求め続ける。スリルを戦場を血を金を女を強者を、すべての美しいものを。
闇に集まる人間は誰だってそんな奴ばかりだ。誰もがなにかしらを常に求めている、まるで欠乏に喘ぐように。
お前もそのうち理解する、そう言ってノブナガは私の頭を再び無造作になでた。前髪が跳ね上がり今度は逆に開けた視界に映ったのは欠乏を知っているという男の顔だった。



そして夜になり、餓えた獣のような獰猛さで蜘蛛の足たちは夜の魔都へと繰り出した。
足のない私はただ、アジトに巣を張りそれを見送るばかり。

欠乏を生み出すのは執着心と欲望だ。求めれば欠乏を知り、欠乏すれば求める。何を求めれば欠乏を知ることができるのか、理解できない私は今夜も本のページを開いて答えを探す旅に出る。

野原を駆ける獣も、
2010.01.09



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