指先

□濾過された世界はきっと、
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月がきれいな夜だ。
ホグワーツには多くの梟がいるため静かな夜というのは滅多にない。暗闇には常に鳥たちの鳴き声と、そして学校近くにある森にすむ獣の気配がうごめく。しかしそれは学校の外の話であり、真っ暗な廊下を歩くリドルには関係のないことだった。
教師の夜回りの道順は頭に入っている。その時間帯も。気まぐれを起こされない限り、夜の徘徊を見咎められることなど彼には起こりえないのだ。それに、例え見つかっても優等生のレッテルと教師からの信頼と多少の屁理屈でいくらでも誤魔化す自信はあった。とはいえ、いらぬ噂を立てられても困るので見つからないことにこしたことはない。
リドルはその優秀すぎる頭脳を世間的には間違った方向に使い、今日も今日とて自寮を抜け出し夜の徘徊にくりだした。
 
常であれば目的は専らスリザリンの秘密の部屋とやらを探すためではあるのだが、今回は違った。
暗闇に慣れた瞳でいくつかの階段を上って降りて、いくつかの曲がり角を左折して右折する。そうしてたどり着いたのは、昼間、目のあった絵画の前だった。
真夜中であっても絵画の中は春の日差しに照らされた草原に変わりはなかった。
そういえば校内にある絵画で屋外の風景を描いたものはこの一枚のように思う。感慨もなくリドルは考えた。何処の廊下の絵をみても室内の絵を見ても、描かれているのは屋内の風景だ。これほど解放感と温かみに溢れる絵はこの一枚だけではないだろうか。
 
絵の前に立ち、黒に近い茶色の、細かく繊細な細工が施された彫を眺めつつ額下に書かれたタイトルを指先でなぞった。『草原の春』。そのままだった。
リドルが意味もなく、小さなため息を漏らした瞬間。絵画の中央、柔らかな風に揺らめく新緑に囲まれたそこに寝そべっていた少女が身を起こした。
そして自分を、絵を覗き込むリドルに気がつき、一瞬驚いたように目を見開く。風に揺らめいていた少女の長い栗色の髪が柔らかそうに舞い上がった。
そうして、自らを見つめる青年にふわりと笑いかけた。草原の春、そのものを体現するような笑みだった。

「こんばんは、ミスター」

初めて聞いた少女の声は春の日差しのように暖かで柔らかく、リドルが今まで聞いたどの声色よりも心地の良い音だった。

「…こんばんは、ミス」

自分が発した声は、震えてはいなかっただろうか。

濾過された世界はきっと、
2009.01.28



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