パラレル
□夜叉の嘆き
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「剣が峰に行きたいわ……」
手紙を読み終えた朔がぽつりと呟いたのを聞き咎めて、朔付きの従者である実兄・景時の眉がへの字になる。
「朔……いや、姫。黒龍に会いたい気持ちはわかるけどさ〜、お前はこの地を守る神なんだよ。ここから動いてはいけないと、人間との約定がある」
「そんなこと、兄上に言われずともわかっています」
ぷい、と朔にそっぽを向かれて、景時がますます情けない顔をした。
そう、それは古の約定。
その本性――神の力を以て朔が動くだけで、人間の世界には嵐が起こり洪水で地が沈む。
人間が災害を防ぐために、水神である朔と交わした契約――「1日3度、決められた時間に麓の鐘を鳴らす」という約定を守る限り、朔はここ夜叉が池から動けない。動かないとの誓いが、身を縛っているのだ。
「でも、こうして剣が峰の黒龍から手紙を貰えば、思いは募るばかり」
浅ましい人間なんか、水の底に沈んでしまえばいいと思う。
小さき者たちの命と愛しい黒龍と、秤にかけるまでもない。
「いっそ、鐘を壊してしまいたい」
朔の気持ちは、景時も良くわかっているつもりだ。どれほど、妹が遠い地にある黒龍のことを想っているかも。
けれど、神の卷族、姫を諫める立場にある景時は、朔を戒めるほかに言葉をもたなかった。
「人間は確かに愚かだよ。でも、我々神の立場にあるものが誓いを破ることは出来ない」
「……口惜しいことね」
あんな鐘、と、夜叉が池の底からかの鐘がある地を見やった、その時。
ふと、朔の耳に、柔らかな歌声が聞こえてきた。
――ねんねんころりよ、おころりよ……
「……この歌は」
「望美ちゃんだ――鐘つきの男と暮らしている、あの孤独な女の子」
朔はもちろんその少女を知っていた。
身を縛る鐘、その傍らの家に住む少女。村の人間から邪険にされて僻地に住み、鐘つきを担ってくれた男だけを頼りと慕って健気に生きる人間。
――かつての自分とよく似た境遇の、哀れな少女……。
「望美……」
「――男が居なくなってしまわないかと、寂しさに人形を抱いて……子守歌を」
……愛する人に会えないのは、朔とて同じ。
子守歌にあやされるように、朔は一筋の涙を流した。
「その気持ちは……よく、わかるわ」
「朔……」
「人間にも、相手を想う気持ちがあるのね」
鐘を見る。
つい先ほどまで壊してしまいたいと思っていたそれも、かの少女にとっては相手を傍に繋ぎ止める大切な鐘なのだろう。
「……私のようにならないでね、望美」
かつて、村の人間に雨乞いの贄にされた自分のようにならずに。
どうかどうか、相手と幸せになって欲しい。
「……いつか鐘つく人がなくなれば、私も黒龍に会えるでしょう」
「朔……」
「それまで待つわ。あの少女……望美のように。人が約定を守る限り」
深い深い水の底で。
……このとき朔は勿論、望美もまた、まさにその約定が破られんとしていることを、まだ知りはしていなかった……。
END
泉鏡花「夜叉が池」をパラレルにしてみました。
歌舞伎(新劇)にもなっていますよ。泉鏡花は言葉や世界観がとても綺麗なのでオススメです。
原作や劇では百合(望美ポジション)が主役ですが、敢えて愛する人にあえない哀れな神・白雪姫(朔)をメインにしてみました。
機会があったら作品全部を遙かパラレルにしてみたいですね。
………望美の相手は誰だろう(笑) ←考えてない
20080728