ソノタ

□FREAKS
2ページ/7ページ


 爪の先のような細い月が,闇の中に頼りなく浮かんでいる.鬱蒼と茂る古木の森に,今にも絡め取られてしまいそうだ.
 ぼんやりと,彼はそんな事を思う.蒼い瞳が,微かに揺らぐ.
 八月も終りに近付いた別荘地の夜は,薄手のカーディガンだけでは肌寒いほどだ.吹き抜けた風に伽羅色の髪を煽られながら,彼―海馬瀬人は一人,庭を歩いていた.常に彼の身辺を警護しているSP達も今はいない.
 単に眠れずに起き出しただけなのだが,この別荘地は現在,日本のどこよりも危険な地なのだ.瀬人もその事は承知しているはずなのに,まるで頓着する事無く広い庭を散策している.
―兄サマ,何も妻護(つめご)の別荘に行く事無いじゃないか!
 怯えたような弟の視線が,脳裏を過ぎる.苛立たしい思いで,瀬人はきつく目を閉じた.夜よりも深い闇の中で,弟を振り払う.
 夏休みだというのに,周囲の別荘には人気が全く無い.一月程前,別荘地近くの妻護湖ほとりのキャンプ場で,凄惨な殺人事件(ボーイスカウトの少年十人がバラバラに,そう,どれほどのパズルの名人でも不可能なほどバラバラにされて殺されたのだ)が起った.国中を震え上がらせた事件だったが,犯人はまだ捕まっていない.人気が無いのも当然と言える.
 だが,それが今の彼には都合がよかった.瀬人は今,人を殺そうとしているからだ.彼の,義父を.
 海馬コーポレーションの経営に携って数年.密かに進めていたクーデターの準備が,あと一押しで完成するのだ.ここまで来て,義父にばれる訳にはいかない.従順な後継者の皮を,今しばらくは被り続ける必要があった.そのためにわざわざ休暇と偽り,別荘で密かに会合を開いたのだ.
―だからこそ,この別荘に来たのではないか.
 びくびくと怯えながらやってきた部下に何故ここを使うのかと問われ,瀬人は冷たく言い放った.人気の無いこの別荘地なら,余計な噂を立てられる事も無い.クーデターの計画が社長にばれたら,自分は確実に殺されるだろう.そう言って哄うと,怖れ(何に対する?殺人犯ではなく,自分に対して?弟の視線がオーバーラップする.まるで得体の知れない化物でも見るような―視線)を含んだ眼で部下は愛想笑いを返して来た.右頬に引きつった笑みが浮かんで,消える.その筋肉の動きがまざまざと思い出され,瀬人は目を閉じて頭を振った.
「…ちっ」
 気晴らしに外に出たのに,これでは逆効果だ.そう思って不機嫌に舌打ちをした,その時.
 茂みの奥で,がさりと何かが動いた.
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ