02/26の日記

12:50
貨幣価値が揺らぐ時
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私用で都心に行っていた時のこと。ある店先で1000円の品物を購入しようと手にした。

昨年一年間、毎日のように出る一円玉と五円玉を貯金箱に入れていた。積もりに積もり、総額8000円近くになっていたので、銀行に預け入れをして貯金の足しにしようと考え、一`近くはあろう小銭袋を持参していた。しかし、鞄には他にも荷物がギッシリ詰まっていた為に都心を歩くのには結構な重量で骨折りものであった。少しでも軽くしようと1000円の会計時に迷惑も承知で500円だけ、一円玉×500枚+500円玉を差し出した。
店主は顔を上げて、「お客さん、お金には違いないけど受け取れませんよ。」と返された。
一円玉も塵も積もれば山となる誰も文句のいえない立派な貨幣だと納得がいかず食い下がった。「受け取れないとはどういうことですか?お金に違いはないなら店側に拒否する権利はないでしょ。数えるのが面倒なだけで、勘定待ちは誰もいないんだからさ」と少々失礼な返しをした。
店主は何やらゴソゴソとレジの下をあさり始め、本の中身をコピーしたものと思われる一枚の紙を差し出してきた。
細かい活字がみっちり詰まっていて、パッと見では理解できない。僕が目を細めて一枚の紙を眺めていると、「法律で決まっているんだよ。」とボソッと店主が口にした。
目を見開きよーく見ると、『貨幣は、額面価格の20倍までを限り、法貨として通用する』との文言が記されていた。後々調べたら、『通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律』というものが制定していたことが判った。
「こんなん知らないよ」と片意地を張ったが、これが最後の抵抗となった。丁重に謝り、素直に千円札で支払いを済ませた。店主は笑顔で店を出るのを見送っていた。僕は恥ずかしくて後ろを振り向くことができなかった。

こんなへんてこりんな法律は知るわけがない。そもそも何でこんな法律ができたのか。根本には『健全な経済活動』が目的にあるようだ。
1000円の支払い時に全て一円玉で支払ったらどうなるか。これは容易に想像できるが、お金を数える時間に大半を要し、これでは商売上がったりということで、立派な営業妨害になるという。店側が拒否しない限り、この法律は適用されないが、拒否した場合は額面価格の20倍までしか法貨として認めらないということになる。つまり、店側が拒否したら、時にお金といえども塵となってしまうのだ。

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