12/09の日記

01:21
介護現場における平等とは
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平等と唱える人達がいる。
以前の記事では、「一般的な平等」について簡単に触れた。今回は、「介護現場における平等」について記事にしていきたいと思う。

介護現場では、「平等の精神」をやたらに唱える職員が多数存在する。それが一般的にも悪いことであるかのような認識では映らない。なぜなら「平等」の意は、差別なく偏りなく等しいことであるからだ。その世間の常識を当たり前に、当たり前の場面で唱えられることは正義感に満ち溢れ、優しさを強さにした心の持ち主であろう。
介護業界の入口で、そんな一見様にノックをされたら快くおもてなしさせてもらう。即日、採用だ。

当たり前の場面で当たり前に「平等の精神」を唱えられる心の強さには、大いに評価したい。しかしフィールドが「介護現場」に移った場合には、もう一方の視点も併せ持っていなくては、平等の概念からは外れてしまう。

僕が新人の頃に働いていた施設では、「平等の精神に反する」という言語が定例カンファなどでは頻繁に飛び交っていた。右も左もわからない僕は、ただただ疑問を抱くこともなくひたすらに先輩方の号令に前ならえをしていた。

個々の自立度によってサービス提供時間に差異が生まれる。自立度が高ければサービス提供時間は少なくなる、自立度が低ければサービス提供時間は多くなるのが通例だ。身体介護のサービス時間が同じでもその時の体調変化等により、サービス時間に差異が出る。精神的ケアという面でも常に傍らで見守る、コミュニケーション時間を多く持つ必要性がある人がいる。
これらは常識的な配慮であり、異論が入る隙間もない。我々は、そのときに必要な関わりを必要な人に対して行う。
ケアプランは介護サービスを提供するにあたっての大原則だが、それだけでは生活の質を担保できない。しかし、ケアプランを下回った対応をしてはならずという理解も必要だ。

介護現場において、一般的な平等概念しか持ち合わせていないと不平等だと感じてしまうことがある。しかし、これはに明らかに悪平等的な考えと化す。
つまり、同じような状態・状況にも関わらずサービス提供時間や内容等に差異が出た場合は、不平等として扱う理解が必要なのだ。反対に自立度関係なしにサービス提供時間と内容等が同一であったならば、それは画一的とか一律などの集団処遇以外なにものでもない。現代の介護サービスは個別処遇が重視されていることからも絶対的に「介護現場における平等の概念」というものを理解する必要がある。

我がホームの職員の中にも、「介護現場における平等」についての理解が足らないことを時折、散見する。意識の統一化を図っていくことの難しさを痛感しつつ、今日の記事についての内容がしっくりこないことを悩ましく思い、明日も仕事なので就寝することにした。おやすみなさい。

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