10/20の日記

19:44
アニマルプラネット&生態系
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わが実家にCSテレビを導入したとの情報を得たので早速行ってみた。
チャンネルが多種多様なために何を観ようか迷う。でも休日を家で過ごす場合はテレビだけで結構充実しそうだ。それが日常的となれば飽きがくるだろうが、テレビッ子にはたまらないと思う。
僕は以前からアニマルプラネットが観てみたかった。昔から動物を主体とした番組には目がない。余談で、「警察24時」「はじめてのおつかい」も好きな番組だ。
アニマルプラネットの下馬評はよく耳にしていて、無類の動物好きにはたまらない逸品らしい。個人的には生態系の模様が何よりも感情が高ぶる要素だ。生命誕生シーンも涙腺が緩む。
実際にまじまじと観てみて一番印象的だったのが、アフリカゾウの出産シーンであった。どんな動物にせよ、生命の誕生は神秘的だ。
ゾウはお腹の中に21ヶ月もの間、赤ちゃんを身篭り育てあげる。おおよそ2年間の妊娠期間は、ジーッと殆どを安静にして過ごすのである。女性とくに出産経験者ならよく分かると思うが、21ヶ月の妊娠期間は壮絶極まりない時間だと感じるだろう。こんな予測を立てている僕は男子だが、うちの嫁が妊娠した時にさんざん言い聞かされた為に妊娠=めっちゃ大変な一大事と植え付けられているからである。人間の10ヶ月を遥かに上回り、2倍以上だから驚きだ。
そしてゾウには年子が絶対にいないことが言い切れる。
スケールのすごさはそれだけではない。産み落とされるときの体重は150キログラムもある。人間のおおよそ500倍だ。
あの巨体なら納得できるが、なんとも愛くるしい目と鼻がスケールのすごさを忘れさせる。それがゾウの良さなのかもしれない。

小学校の時に「ゾウ」というあだ名で呼ばれていた男がいた。思い起こせば、巨体で色々な意味でスケールが大きかったのを覚えている。小学生なのに、180cm近くあり横にも並外れていた。給食はおかわりして、自前の弁当まで持参する始末だ。驚きは学校に備えつけの机や椅子は特注品であった。既製品では体が入りきらず、学校側がその男のために用意したのだ。当時は前代未聞だと騒がれていた。僕はその男が近所に住んでいたので両親を知っているが、、決して背丈は大きくない。母が150cmちょいで、父が160cm後半ぐらいであった。現在、その男の行方は不明だが、中学2年生の転校の時には180cm後半はあったと思う。両親の遺伝子から想像すると、突然変異以外なにものでもない。
「ブタ」「牛」「ゴリラ」などのあだ名で呼ばれている人達はいくらでもいる。でも、「ゾウ」というあだ名はいるようでいないものだ。スケールが大きくなければ、あだ名として成立しないのか。それよりか、あだ名を動物に例えるのはだいたい小学生や中学生ぐらいまでだろう。大人になって、「ブタ」などのあだ名で呼んでいるところは殆ど見ない。つまり小学生や中学生では異例の巨体だったために、稀少人間だったんだろう。それ故に「ゾウ」というあだ名は稀少なのかもしれない。でも稀少価値については疑問だが…

動物は色々な人に愛されており、特に犬や猫は家族の一員として扱われている。僕も犬や猫は大好きだが、世間的には時として愛情が過剰となっている場面を見受ける。それを非難するわけではないが、僕の知人には動物愛護精神が度を越えてしまっていて、肉は食べない、動物性油脂も口にしない。その知人は女性である為に化粧品類は動物実験している企業のモノは使わないと徹底している。そうなると必然的にベジタリアンと化し、一緒に食事に行くと料理品目に気を使うことが多い。

生物を大別すると動物、植物、微生物などとなるが、植物や微生物も動物同様の生き物に変わりはない。それなのに動物性の肉だけは食べないという過剰なまでもの動物愛護家には首を傾げる所が多いというのが僕の所見だ。人には価値観が無数に存在するが、弱肉強食は自然の摂理であるし人間は生物界の頂点に君臨しているのだ。
乱獲や自然破壊により生命の危険を脅かす人間の身勝手な行為には非難してしかるべきだが、この世に生かされている以上は切っても切り離せない自然界の掟もあることは理解する必要がある。自然界の掟やルールに則るからこそ生態系が保たれ、人間は生かさせてもらうことができるのだ。人間を含めた動植物などの生物全般の生態系の維持なしに生命の維持はない。

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