小説1
□また忘れよう
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今日で一学期が終わり、明日から夏休みだ。そして、その日父方の祖母の家に行く。
授業が終わり、一度家に帰って、すぐに家を出た。昨日、秋本に半ば強制的に漫才の本を借りさせられたのだ(学校で返せば良かったのだが、持って行くのを忘れてしまった)。何が「参考になるで」だよ。僕は漫才師を目指してなんかいない。もしこのままいけば、養成学校入学のパンフレットまで持って来そうだ。そう考えると身震いがした。
おたやんに着いて、暖簾を潜る。すると、いつものようにソースの良い匂いがする。この匂いを嗅ぐと、お腹が減っていなくても、食欲が出てくる。
「あら、歩君!いらっしゃい。」
「こんにちは。」
「まぁまぁ、歩君はいつ見ても可愛らしいわ!ほっぺはすべすべやし、髪の毛もさらさらしてるし。うちの看板娘にしたいわ!」
おばさんはそう言いながら、僕の顔や、身体を触ってきた。秋本の、やたらと触りたがるところは、おばさん譲りみたいだ。そして僕は「娘ではなく、息子です。」と突っ込みたいのを抑えた。あっ、この場合は息子じゃなくて男か。
「あの、貴史君はいますか?」
「貴史?あの子やったらまだ帰って来てへんで。」
そうだった。今日は放課後ちょっと用事があるとか、なんとか言ってたっけ。
「迷惑じゃなかったら、待たせて頂いてもいいですか?」
「ええよ、ええよ。歩君やったらいつでも大歓迎や!どこでも好きなとこで待ってても構わへんから。」
おばさんはそう言ったものの、一階にいたら、開店の準備をしているおばさんの迷惑になると思い、秋本の部屋で待たせてもらうことにした。
相変わらず、汚い部屋だ。脱ぎっぱなしの服や、雑誌などか散乱している。取り敢えず、ベッドの上だけでも片付けて座れるようにする。落ちていた雑誌を手に取り読んでいると、おばさんがお好み焼きを持って来てくれた。
「はい、特製豚玉もだんスペシャル!」
僕はお礼を言って、お好み焼きに箸を付ける。
「おいしい!おたやんのお好み焼きは、生地がふんわりしてる。」
「さすが歩君!よう分かってるやん!歩君やったらいつでもご馳走してあげるから、いつでもおいでや!」
そう言うと、おばさんはニコニコしながら階段を降りて行った。
本当にここのお好み焼きは美味しく、食が細い僕でも一枚ペロッとたいらげてしまった。「腹の皮張ると目の皮弛む」とはよく言ったもので、心地よい満腹感と共に段々と睡魔が襲ってきた。秋本のベッドで横になる。そして、枕に手を伸ばし、頭の下に敷く。食後寝るときは身体の右側を下にした方がいいらしいので、その教えに従った。すると枕から秋本の匂いがした。やたら滅多に抱き着かれるのは困るけれど、僕は秋本の匂いは好きだ。落ち着くのだ。そんな効果も手伝ってか、ますます眠たくなり、ついには意識を手放してしまった。
物音がして目が覚める。
「おっ、歩起きたんか。」
「うん。お腹一杯になったら、なんか眠たくなっちゃって。」
そう言って、目を擦りながら、ベッドから起き上がる。すると、目の前では、上半身裸で、膝丈までのハーフパンツを履いた秋本が、扇風機に当たっていた。目のやり場に困る。
「何でそんな格好してるんだよ?」
「うん?風呂に入ってきたんや。あっ、もしかして一緒に入りたかったんか?歩やったらいつでもウェルカムやで!」
「そんなわけないだろ!ばか!」
何ですぐこういう発想になるのだろう。本当にバカだ。
それにしても、秋本は大人の男って感じがする。精神的な面はもちろんだが、肉体的な面に関しても到底及ばない。秋本を見る。身長はとても高いし、胸板は厚いし、腹筋は割れている。逞しい。はっきり言ってかっこいい。見取れてしまう。ちょっとだけだけど、触れてみたいとも思う。
「どうかしたか?」
「えっ!?ううん、何でもない!そ、それより早く服着ろよ。」
「まだ、風呂から上がったばっかりで暑いやん。なんで、そんなに急かせのんや?」
そんなの恥ずかしいからに決まってるじゃないか。秋本は鈍いのか、鋭いのかよくわからない。
「か、風邪ひいたら困るだろ。」
「・・・・・・。」
「なっ、なんだよ?」
「歩〜!俺のこと気遣ってくれるんか〜?」
抱きしめられた。顔が秋本の胸に押し付けられる形になる。今まで何度も抱き着かれたことはあったが、直接肌が触れたのは初めてだ。鼓動が早くなる。文句を言おうとするが、恥ずかし過ぎて言葉が見つからない。口だけがぱくぱくと動いた。それでも、何とか抵抗しようと手で押し退ける。
「離せよ。痛いだろ。」
「スマン、スマン。歩が嬉しいこと言うてくれるから。・・・・・・あれ?歩、顔赤ないか?」
しまった。ばれちゃったかな。ここは取り敢えずごまかさないと。
「そっ、そうか?気のせいだろ?夕日が差し込んでるからじゃないか?ほら、外で烏がカァカァと。」
「歩、もう外は暗いで。それに俺の部屋は東向きやし。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
秋本が真っ直ぐに見てくる。こんな風に見つめられると、嘘がつきにくくなる。
「だから、その、・・・秋本が裸なのに抱き着いてきたから、恥ずかしくて・・・。」
最後の方が尻窄まりになる。情けないが、これで精一杯だ。しかし、僕がやっとのことで伝えたのに、秋本はまた抱き着いてきた。落ち着きかけていた心臓が再度高鳴る。
「バカ!冗談はよせよ!」
「冗談なんかやない。俺は真剣やで。真剣に歩が好きや。歩は嫌か?」
嫌じゃない。全然嫌じゃない。ただ、恥ずかしいだけだ。僕は勇気がないし、饒舌でもない。言葉で気持ちを伝えるのは苦手だ。だから、僕も秋本の背中に手を回して、キュッと力を込める。温かい。それは、秋本が風呂上がりだからでも、恥ずかしいからでもなく、幸せや、嬉しさからくるものだった。