パロディ連載

□act.1-1
1ページ/2ページ


 扉を開けた途端、ぴりぴりと肌を刺すような空気に晒され、アベルは首を竦めた。
 ブラインドを下ろした室内は、昼だと言うのに薄暗い。
 別件についていたところを呼び出されたのだ。もしやと思ったが、上司の殺気だった空気に事態の深刻さを悟る。

 扉の傍にはいつも通り、少しの皺もないスーツに身を包んだ青年が、軍隊ばりの隙のなさで控えていた。
 アベルの視線に、「どうかしたのか」と問う言葉には微塵も感情を感じさせない。

 部屋の大きさに見合ったソファーには、鑑識の腕章を着けた男が腰を下ろしていた。
 挨拶代わりに軽く上げられた手には、しっとりとした黒塗りのパイプが握られている。
 久しぶりに白衣以外の格好を見たが、青い制服は幾分かくたびれているようだった。


「久しぶりだね。元気にしてたかい?」
「お久しぶりです。元気は元気なんですが、お腹がへってしまって今にも、天に召されてしまいそうですよー」
「相変わらずだねぇ」
「教授は随分お疲れのようですね」
「徹夜明けに現場検証をしてきたところだからね。この歳には堪えるよ。……っと、失礼」


 堪えきれずに欠伸がもれる。疲労が溜まっているだろう目蓋が、いやに重たそうだ。
 教授が詰めてくれた分空いたスペースに座らせてもらうと、アベルは入室時から黙ったままの上司の顔を盗み見た。
 美術品のように麗しい顔には、険しい色がのっている。眉間に寄った皺は、常よりも深い。
 カテリーナの隣に控える泣き黒子の同僚の顔も、また暗い。

 縦にひょろりと長い体を居心地悪そうに屈め、僅かに射す光が机に落とす白々とした模様を見つめる。
 手元の書類を睨み据えていたカテリーナが、焦燥の滲んだ息を吐いた。


「みな、集まりましたね。各々の仕事中に申し訳ありませんが、事態は余談を許しません。
 しばらく他の件については、後任者に一任してもらいます」


 細く傷一つない指がくるりと宙に円を描く。
 壁際に吊るされたスクリーンに、映写機から数枚の写真が投影された。


「これは……?」
「水面下で監視していた新興カルト集団の幹部筆頭です」


 どこかのパーティ会場で撮られたものなのか、写真に映った件の人物は、黒のコサージュを胸元にあしらった淡いクリーム色のスーツ姿だ。
 顎よりも若干下で切り揃えられた髪は茶が勝っているが、落ち着いた色合いだ。
 隣の中年の男性に微笑む顔は美しく、若々しい。
 フリル状になった襟から覗く首筋は、控えめながら艶っぽかった。

 ふへー、などとよく分からない感嘆の息を溢したアベルに剃刀色の視線が飛ぶ。
 色だけではなく、本物の刃物に負けない素晴らしい鋭さだ。


「あー、いえ、こほん。ず、随分とお若いのに幹部の筆頭なんてすごいですねぇ!」
「……ええ、他の幹部メンバーを見る限り異様な若さです。しかし、油断はできません」
「この方が幹部に昇格して以降、集団の活動が顕著になってきていますの」
「ふむ。と言うと?」
「これまでは新興集団の中でも下位の中堅だったのが、ここ数年で勢力が異様に拡大してきている。
 活動基盤も国内だけではなく、海外にも延びている上に最近では荷物や情報のやり取りが目につく」


 頬に指を添えた憂い顔のケイトから、トレスが言葉を引き継ぐ。
 感情の起伏が乏しい声で次々と挙げられていく情報を聞くと、傘下の会社の数も随分多い。
 教授が疲れからだけではなく目を細める資料を隣から覗き込む。
 先程とまた違う色の感嘆の声をアベルはつい漏らした。
 成る程、並ぶ名前は一般人ばかりではない。彼らしくもなく、渋い顔をしたくもなるだろう。


「でも、カテリーナさん。こう言うのもなんですけど、これでしたら、今のところはマークするだけで十分じゃありませんか?
 トレスくんや教授まで呼ぶほどではないように思えますけど……」
「ええ、私も少し前まではそう思っていました」


 確かに規模や構成員を見ると要注意だが、これならアベルが呼び出し前に監視・調査していた団体とほとんど変わらない。
 自分を含め部下を三人も投入するというのは、いくらなんでも慎重すぎるように思えた。
 未だ険しい顔をしたままのカテリーナに、おずおずと手を挙げる。
 指を組んだ手に額を預ける麗人は、アベルの言葉に一つ頷くと短く息を吐いた。
 赤いルージュをひいた下唇を噛む表情はどこまでも苦く、そして瞳の色はいっそ獰猛なほど鋭い。


「先日、監視役につけていた職員二人が殉職しました」
「!」


 初めて聞かされる情報に、アベルが短く息を飲んだ。室内の空気が、呼吸音すら許さないほど張り詰める。
 拳を握りしめたアベルは、思い出された入室時の会話に、まさか、と隣を振り返った。

 隣に座った教授の顔色は、先と全く変わっていなかった。額にあてがった手の影から、リストを眺めている。
 そこにはアベルのような悲壮感も、カテリーナのような苦渋も何も浮かんでいない。


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ