トリブラ夢小説U

□爪弾く愛憎
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 その時のサラの頭は驚くほど冷めていた。
 しかし、頭が冷めていても感情は煮えたぎって、とてもじゃないが腹の底に押し止めてなんていれなかった。
 身に染み付いた動作でナイフを抜き出し、降り下ろす。
 動脈に切っ先が触れるのと、額に冷たい銃口が当てられたのはほぼ同時だった。

 しん、と音が消える。
 首を反らし、逆さまからこちらを見上げたマタイの顔は笑っている。
 安全装置を外す音が、頭蓋骨にいやに響いた。


「まったく、あなたはすぐそう感情的になる。そちらの方たちには悪いことをしましたが、これも聖務のためですよ」
「その聖務とやらも随分なものじゃないか。異教者なんて名ばかりで、相手はただの研究者たちだ」
「ただのじゃありません。思想の、です」
「そこまで踏み込む権限、私たちにはないだろ」
「早期に対処しなければ、癌は他に転移します」
「大したお医者様だ」


 窓から差し込む光は麗らかだというのに、互いの殺気が肌をなぶる。
 指先の神経が過敏になっていて、とくりとくり、と刻まれるマタイの鼓動が伝わる。
 あまりに穏やかな心音が、こんな状況に不似合いだ。

 トリガーを引くのが早いか、このまま頸動脈を掻き切る方が早いか。
 もしそうなったら、どのみち手元の書類は駄目になるな。
 それでも、この男はきっとこの笑顔のまま「残念です」というだけなんだろう。

 どれだけの時間、二人でそんなことをしてただろうか。

 心を荒立たせていた感情の波がようやく落ち着いてきて、サラは指先から力を抜いた。
 凪にはほど遠かったが、先程よりはマシだ。
 切っ先が離れると、額にくっついてしまったかのようにぴくりとも動かなかった銃口もゆっくりと剥がされていく。

 ナイフをしまい、きつく跡の残った肩を先程同様密やかに撫でるサラと何事もなかったかのように再び書類を読み始めるマタイ。
 肌を刺していた殺気もすっきり消えて、室内は紅茶の香りと午後の日光に満ちていた。

 肩のラインを慈しむように動く指先を、ぼんやり眺める。
 深紅の服の下、柔らかな皮膚についた傷も感触もサラはすべて知っている。
 掌に刻まれている筋肉の動きも、そこに爪を立てる快感も。

 甘く自分の存在を刻みたいような、何もかも切り裂いてやりたいような。
 交互に膨らむ感情は、交わることのない類のモノのはずなのにどちらもサラの内に同時に存在するのだ。
 多分、マタイもそうなんだろう。


 夕方からは街の哨戒があったな。
 予定を頭の中で組み立て、さっさと踵を返して扉のノブに手をかける。
 挨拶も特にすることなく出ていこうとした背に、マタイの声がぶつかった。


「今夜食事でもいかがですか?」
「……哨戒が終わってからでも構わない?」
「ええ、なら時間を見計らってそちらに伺いますよ」
「うちに? 冗談。ブラザー・ペテロならまだしも、君が門の前にいたら火種以外の何物でもない」


 ここで大人しく仕事でもしてなよ。
 言い置いて、後ろ手に扉を閉めた。
 残念です。閉めた拍子に扉の隙間から吐き出された空気に、そんな声が混じっていたような気がした。


 友人は根本的な勘違いをしている。
 サラもマタイも、取り繕ったりするのは苦手で、いつだって自分の感情には怖いくらいに素直だ。

 会いたければ会いに行く。触れたければ触れる。
 穏やかに何もしない時間を過ごしたりもするし、そんな時間が互いに好きだ。

 愛しさから慈しむこともあれば、同じ指先で目も当てられないくらいに傷付けてやりたい衝動にかられることもある。

 そうして、触れたいという衝動に素直に従うように、殺してやりたいと思えば迷うことなく互いに武器を抜く。


 認めるのはあまりに気分が悪いが、サラはブラザー・マタイという男を愛していた。
 そして、同じくらい強く憎んでもいた。


 たまには、意地を張らずに甘えてみればいいのに。


 苦笑混じりの言葉が蘇る。
 お互いに遠慮も何もせずに、あまりに乱暴に感情をぶつけられる。こういう関係を、双方甘えていると言えば甘えなんだろう。


 あの滑らかな肩には、赤黒いサラの指の跡がしっかりと残っているだろう。
 今宵もそこに甘く爪を立てるのかと思うと、不思議と満足感が胸に満ちた。





<了>

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